2002年6月
N-JUNKIIEは夫婦でスカパーのセパンのGT中継を見ていた。
猛暑がドライバー、マシンを襲う。
早めにピットへ入るカルソニックスカイラインの星野一義(敬称略)。
僚友田中哲也に交代。
早めにピットインの作戦なんだなと思ったN-JUNKIE。
マシンから降りた星野は倒れこみながら急いで交替。
女房Yはこう言った。「もう、トシだよ~。」
N-JUNKIEは思った。
確かにトシだろうけど何かおかしいなあ。あんな星野さん見たこと無いなあ。
レースから数日後、衝撃的なニュースが飛び込んできた。
星野一義、引退。
持病のヘルニアに対応できなくなったという。
しかも、殆どの人間にコレを打ち明けなかった。
用意されていたV6のGT-Rに乗ることは無かった。
日本一速い男と呼ばれた星野一義はシーズンを終えた。
11月のある日
一通のメールが来た。
差出人はニスモ社長(当時)安達二郎氏だった。
「N-JUNKIEさんの熱い思いに答えたいと思います。ニスモフェスティバルでCABINカラーのF3000を星野で走らせます。N-JUNKIEさんが走らせたと思って頂いて結構です。星野の走り、しっかりとその目に焼き付けてください。」
N-JUNKIEは呆然だった。何が起きたかわからなかった。
少し時間が経った頃、「おかあちゃん!!大変だ!!!!」と言った。
安達さんからの心憎いプレゼントだった。
2002年12月1日
朝から富士スピードウェイは雨が降っていた。
雨の為、身動きが億劫になったN-JUNKIE一家。
しかし、雨なら雨で嬉しいことがあった。雨になっても速い男がいた。
星野一義(敬称略)である。
この日、星野の引退セレモニーが開催される。
一目星野を見ようと全国からファンが集まった。
次々とマシンがコースに入る。
日産チェリーが星野の手でドライブされていた。
それから例のF3000が走った。N-JUNKIEはワクワクしながら星野の走りを見ていた。
途中、CLUB LE MANS会員専用テントでは安達二郎氏もセレモニーを行った。
安達さんは簡単な挨拶をすると「星野を見ましょう。」と言ってマイクを置いた。期待していたファンはドテっ。
「星野を見てください。最終コーナーを全開で上がってくるこの富士スピードウェイも見納めです。」
次々と、かつて操ったマシンに乗り込む星野一義。
応援団長Kさんが星野コールをするとスタンドから星野コールが起きた。
日産チェリー、シルビアスーパーシルエット、R32GT-R、R34GT-R、R91CP、R390GT-1。
最後に挨拶をする星野一義。
涙で声にならなかった日本一速い男。
子供から憧れつづけた星野一義、青いスカイラインGT-R、工事が決まった富士スピードウェイ、お世話になった安達二郎氏。
それぞれがN-JUNKIEの中で複雑に絡んだ。
N-JUNKIEに一滴の涙が頬をつたった。
N-JUNKIE女房Yは、何も言わなかった。
星野さん、安達さん、富士スピードウェイ。
そしてスカイラインGT-R、直6レーシングありがとう。
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スカイライン | 日記
Posted at
2006/03/04 09:00:18