
岡田正泰さんを皆さんはご存知だろうか。
彼は役者でもタレントでも選手でもない有名人だ。
1952年(昭和27年)からスワローズのファンとして有名で後に私設応援団長となった人物。必ず神宮球場の外野席に現れた名物オヤジである。
2002年、7月30日。残念ながら急性肺炎で享年71歳にて他界されている。
彼は役者でもタレントでも選手でもない有名人だ。
マンガ「がんばれタブチくん」や「おじゃまんが山田君」にも登場するほどである。
彼が凄いのは、それでメシを食っていないということだ。
応援初めの頃、チームは優勝なんてほど遠かった。
1人でフライパンをたたいて応援していたが輪が広がり、誰でも持っている傘に変更した。
「金をかけない」が彼のポリシーだった。
だが、観戦の邪魔になることもあり、ビニール傘を採用。
78年、チームが初優勝した年に「東京音頭」を合唱するパターンを定着させた。
ガリ版刷りによる歌詞カードをスタンドで配って歩いた。
家業の看板製作を生かし、手作りの横断幕を製作した。
彼には名台詞がある。
「そんな金があるなら、明日の観戦チケット代にまわせ」
「神宮の食べ物は高いからお母さんにお弁当を作ってもらいなさい」
「たとえ大敗しようとファンに楽しんで球場から帰途についてもらいたい。
『ファンに喜ばれる』というのがオレの応援のポリシーだ。
『応援しろ』と強制なんかしねえよ。
応援を楽しむことによりファンがのって、そのファンの応援で選手をのせられれば、最高じゃないか。な、そうだろ。」
日産応援団を続けるN-JUNKIEにとってやはり師匠と呼んでもいいかな?岡田さん。
そんなことを言うと「バカヤロー、師匠でも何でもねーよ。好きなようにやれや!」と言われそうだけどね。
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2006/03/27 20:04:17