
「あの…スカイラインのGTS-Rって…」
「ああ、アレは発売と同時に注文が殺到してもう販売は終わりました。」
若かりし頃、所有は夢と消えた限定800台モデル。
1985年。
7代目、R31型スカイラインが登場。
CMキャッチフレーズは「都市工学です。」「7thスカイライン」。
4ドアのピラーレスハードトップ、セダンが先行デビュー。
インテリアもスポーツタイプとラグジュアリータイプが用意される。
やや遅れてステーションワゴンが登場。
この時代は、ハイソカーブームと呼ばれる高級車ブームの時代だった。
直列6気筒エンジンはそれまでのL型から新たなユニットのRB型に。
技術的な特徴として、前輪の操舵と後輪を同位相に操舵( 最大0.5°)する4輪操舵機構の
HICAS搭載モデルの登場が話題になった。
翌年、2ドアスポーツクーペGTSが登場する。
2ドアモデルは、それまでのピラーレス2ドアハードトップからピラードクーペになった。
1987年のマイナーチェンジ。
その際、当時のモータースポーツの「Gr.A」カテゴリーのホモロゲーションモデルとして「GTS-R」を800台限定で販売。
1973年のKPGC110型でGT-Rが消滅して以来、久々に現れた6気筒エンジンのスーパーモデルにマニアから注文が殺到した。
固定型フロントスポイラー、山型大型スポイラーを装備。
ターボユニットは、ギャレット製T-04E。
大型インタークーラー。
ステンレス製等長エキゾスートマニフォールドなど純正でありながら210psのチューニングが施されていた。
そのGr.Aレース。
89年、リーボック スカイラインの長谷見昌弘/(故)A・オロフソン組がグループA、シリーズタイトルを獲得する。
日産と鈴木亜久里が、このGTS-Rを使用してであるテストをしていた。
日産陣営は亜久里に「スピンしてもいいからどんどん踏んでくれ」と依頼。
亜久里は驚いてこう言ったそうだ。「何コレ?いくら踏んでもスピンしないんだ!」
それを聞いた日産陣営はガッチリ握手を交わしていたそうだ。
仕掛けは可変4WDユニットをテストで搭載。
それが次期モデルに搭載されることになったATTESA-ETSだった。
※登場人物は演出の為、敬称略とさせてください。
http://www.youtube.com/watch?v=csYD3QiTAWY
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スカイライン | 日記
Posted at
2010/04/17 10:24:13