
この「バラエティ 日産応援団」の主旨をご存知無い方はまず
こちらをご覧下さい。
※Nジャン=通常文字
架空ゲスト=太字
フィクション=斜文字
日産応援団のはじまりはルマンですが、私は99年からの参加ですのでそれ以前のことはわかりません。
始まりはどんなふうだったんですか?
はい。
96年、我々夫婦が結婚してから2年間お預けとなっていた新婚旅行としてNISMOの応援ツアーに参加したわけです。
この時は私自身はレースは好きでありましたが、見るよりも走るほうが
そして、ダートを中心として活動していました。
なんと、M社の○ンゴ4WDでスーパー林道を攻め、そのころの○ァミリア323等と競り合って走っていました。
しかし、ルマンはテレビで放映される時はいつも観戦していました。
そんな時、クラブルマン会員であった家内からこのツアーへの参加がありました。
ブログでもばれてしまっているマッチの大ファンであったからです(笑)。
(大爆笑)私のせいですね、あはははは!!!!
しいていえば、マッチがいなければ応援団の結成は無かったのも???
なるほど!そりゃそうです。奥さんが仕掛け人だったんですよきっと。
そして、ツアーに応募、異常にテンションの高いツアーガイドと連絡を取り合い変な人だなと思いながらツアーへの参加準備を開始しました。
このツアーガイドがあのツアーリスト以上に日産の応援ツアーに参加したい人物Oさんでした。
そして、成田でOさんとの出会いやっぱり変人でした。
やっぱりそう思いました?私も最初はそう思ったんです。あの方はあるロックバンドのヴォーカルと同姓同名ですもんね(笑)。
そして、なんとそこにはDATSUN210でオーストラリアラリーに参加した難波氏(NISMO社長:当時)がいるではないですか!!
興奮しました。そして、Oさんがニスモの大きいシールを持ってきており、これを使って皆さん応援しましょうと誘いかけていたのです。
そのときは、まだしらけていた自分でした。
そして、それから難波氏のご好意で毎晩のように私たち夫婦は夕食に同行させていただき難波氏から日産のレースに対する思いなどを聴かされ、すっかり日産ファンになってしまったのです。
そして、レース前日にとあるお城で開かれた日産のパーティーに参加させていただいた際に予選のときにただレースを見守っていた自分になんか物足りなさを感じていたのですが、 そのとき、お城の壁にかかっていたユーロ日産の旗を見つけてしまったのです。
その旗は、白地に日産のマークではなくネイビーブルーの下地に日産のマークという柄でした。
そして、NISMOのチームマネージャをご紹介いただいた際にあの旗を決勝日に貸してほしいと嘆願してしまったのです。
そして、この旗と、クラブルマンの旗をお借りすることができ、決勝当日に手に持つだけでしたが、ささやかな応援活動が開始されました。
よって、この応援団の結成には三つの人物のおかげで開始されたのです。
それは、ルマンツアーガイドOさん、NISMO初代社長難波靖治氏そしてマッチで~す。
そして、迎えた決勝で応援は開始されましたがやはり、サーキットも見たいなど完全な応援モードではなかったのですが、朝方のR33LMのクラッシュによるリタイア!そのとき、私は朝食をとりにサーキットを離れていました。
リタイアの原因は自分ではないのは明らかなのですが、そのときに現場を離れていた
自分自身に悔しさを覚え、やりきれない気持ちでサーキットを去ったのです。
その翌年、悔しい気持ちを持ち続けたまま、1年がたちました。
昨年は新婚旅行として行けましたが今年は無理だなと諦めているところへ
Oさんからの電話!
行きますよ!! 旗も用意できることになりました!!!
二つ返事で参加します!!!!
この年から、本当の意味での24時間耐久応援団が開始されました。
そして、グランドスタンドから離れることも無く・・・
この年の応援ではOさんも私自身も予選から声を潰し、エキサイトしました。
R390が苦戦を強いられる中、夜中の1時間半にもわたるピット作業中の日産コールつらかったです。
そして、やっと復活したR390を見送り、応援団も腹ごしらえとつかの間の休憩、そこにピットから応援団へのピットサイン『がんばれ!』
うれしかったけど、少しは休ませてくださいと思ったのも事実です。
このような悔しさと、完走しただけでも嬉しかった日産の応援!
勝ったときの喜びはどれぐらい嬉しいのか・・・
これを求めて、毎年のルマン参加が決まりました。
でも、まだポディウムの中央での感動は・・・わかりません。
3位でも応援団は涙でぼろぼろでした。
表彰後のサーキット(グランドスタンド前のコース上はレース終了後入れるのです)を 歩いているときに数々のレースファンが我々にそして我々の応援を口々に称えそして、来年もまた会おうと握手を交わしてくれました。
その後のホテルでの応援団の祝勝会ではみんな××(自主規制)。
ポディウムの最高位に上るまでは、行き続けると誓った夜でした。
もう、聞いているだけで感動しちゃいますよ。
黒澤さんもドラマティックだったんですね。
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Posted at
2006/05/14 22:35:54