
その衝撃は忘れられない。
1989年。日産は「東京モーターショウ」でスカイラインGT-RのGr.A仕様車を参考出品していた。
1990年3月。
オレは深夜放送を見ていた。
録画放送だったが90年Gr.Aレース開幕の模様を放送していた。
そう、スカイラインGT-Rがレースに復活したのである。
隊列を整え、マシンが一斉にスタート。
先頭は青い稲妻、カルソニックスカイラインの星野一義選手!
続いてユニオンジャックがインパクトを与えるリーボックスカイラインの長谷見昌弘選手。宿敵フォードシエラを見る見るうちに引き離していく。
そんな光景をオレは深夜にもかかわらず釘付けになっていた。
憧れの星野一義選手、青いスカイラインGT-R。
オレにとって、それはまさに子供の頃からの夢であった。
当時ホンダがF-1で最強を誇り世界に知らしめていた。
だが、オレにとってF-1マシンよりもGT-Rの方が何十倍もカッコよかったのだ。
カルソニックのドライバーは鈴木利男選手に、リーボックはオロフソン選手に交替。
しかしまさかの出来事が起きる。
カルソニックスカイラインにまさかのペナルティ表示。
星野選手がドライブ中、黄旗追越をしたというのだ。
星野一義選手は猛抗議。
「あれは前車が合図した為」と主張。
その主張は認められペナルティは取り消された。
そしてコースレコードを次々と塗り替えるスカイラインGT-R!
レースで活躍しているスカイラインGT-Rを見たのはハコスカGT-Rの写真だけだった。
そしてゴール!
1位カルソニックスカイライン。
2位リーボックスカイライン。
リーボックは煙を吐きながらゴールした。
ミッションにトラブルを抱えていた。
オレは最高に喜んでいた。
おそらく目を真っ赤にしていただろう。
やった!遂にやった!
あのスカイラインGT-Rが帰ってきた!!!!
17年ぶりに復活したスカイラインGT-R。
子供の頃憧れたブルーのスカイライン。
そして静岡のヒーロー星野一義さん。
関係者の期待、ファンの期待、スカイラインGT-Rのネームバリュー。
スタッフのプレッシャーは相当なモノだったろう・・・・
きっと生涯忘れられない出来事であろう。
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モータースポーツ | クルマ
Posted at
2006/05/26 21:24:12