
この頃になると国産各メーカーはモータースポーツを積極的に行った。
ホンダはF-1で名声を得る。三菱はパリダカで、スバルはERCで。
マツダは91年ルマン優勝、トヨタもWRCとルマンチャレンジを続けていた。
日産はアメリカIMSAでプロトタイプ、GTクラスの両方で大活躍する。
そして国内レースもGr.A、Gr.C、N1(現在のS耐)と地位を構築しはじめていた。
更にスパ・フランコルシャン24時間に参戦。Gr.AとN1で見事優勝を決める。
92年。ルマンのレギュレーション変更でNA12気筒NP35を製作するも結局参加を見合わせることになった。
しかし・・・
アメリカのデイトナ24時間参戦を決めた。
デイトナはやはりルマンを追われたチームが目立っていた。
ポルシェ、ジャグヮー・・・・。
雑誌を本屋で読むNジャン。
デイトナ24時間のTV中継は無い。
結果は新聞で見た。
驚いた。星野・長谷見・鈴木組の#23日産R91CPが優勝したのだった。
オートスポーツの販売日が待ち遠しかった。
販売日、速攻で本屋に行って購入した。
写真ばかりだったけど走っている様子が不思議とイメージできた。
やったよ!世界の晴れ舞台で日産が勝ったよ!!!
しかしGr.Cカテゴリーはやがて終焉を迎え92年、国内でも廃止が決定してしまう。
そして94年。日産がルマンに帰ってきた。
ルマンはGTカーカテゴリーに移行してきた。
日産はアメリカ日産によりIMSAの300ZXが登場。
総合5位に入る検討を見せたのだった。
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日産 | クルマ
Posted at
2006/06/11 08:55:58