2006年08月29日
日産応援団「田上君」とN-JUNKIE #5
~2000 JGTC~
Nジャンの女房殿は出産間近だった。
女房殿は家において義弟をGTに連れて行った。
義弟はまだ若くNジャンにこう言ったコトがある。
「オレは、見るよりも走るほうが好きなんです。」
対しNジャン。
「まあ、1日付き合えや・・・・。」
決勝当日、富士の第一コーナーを陣取るNジャン。
レースではアクシデントもあったが、富士のパッシングポイント第一コーナー。
手に汗握るドッグファイトが見れた。
義弟はツボに来たらしく、GTの魅力にハマって行くことになる。
Nジャンウイルス感染者に嬉しく思った。
レース途中、スタンドに行った。
数本、日産旗が立っていた。
団長に挨拶を交わし、田上君にも「がんばって」と声をかけた。
レースは#22 CASTROL NISMO GT-Rが見事2位に入った。
日産はルマン参戦中止を発表。
大森でイベントが行われた。
田上君は展示されているR391を見つめていたという。
そのときのことを語ってくれた。
ルマン富士1000km優勝で翌年ルマン24時間レースの予備予選免除となったはずだったのですが、ルマン24時間からは撤退することになってしまって…
様々な事情があり、仕方ないことだとは思いつつも非常にショックでしたね…
余談ですが、翌2000年は日産のいないルマン24時間に耐えられず、ニスモ・大森ファクトリーでのイベントに行きました。どこか寂し気に展示されていたR391…
会場の大型モニターに映し出されるTV中継を見ながら、私は物言わぬR391に心の中で呟きました…
「オマエはあのルマンの地にいなきゃいけないんじゃないか?このままじゃ終われないだろ!夢の続きを見させてくれよ!またあの心地良いサウンドを響かせてくれよ!!」
大きな喜び・深い悲しみ、そして日産応援団との出会いを与えてくれたR391、私にとっては一生忘れることのできないクルマです。
8月の富士。
NジャンはTV観戦。
初めての子供に手を焼く女房殿。
とても行けるような状況じゃなかった。
最終戦、鈴鹿。
#23 PENNZOIL GT-Rが日産勢としてチャンピオン候補の筆頭だった。
やむなしにTV観戦。
このとき、団長と田上君は鈴鹿にいた。
だが・・・・・レースは日産ファンとしてため息が出る結果だった。
田上君は語る。
この年の最終戦鈴鹿、GT-Rはあと一歩のところでチャンピオンに届かなかったんです。
#16NSXのチャンピオンが決定した瞬間、私はうなだれたまま顔をあげることができませんでした…
その時、少し眼を潤ませた黒澤団長が「田上君…」って肩をポン!としてくれたんです… それまで押さえていた感情が一気に溢れてしまいました。
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Posted at
2006/08/29 19:58:52
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