
時は1997年、JGTC(現:SuperGT) Rd.2 富士。
オレはNISMOブースで何気なくグッズを見ていた。
広告紙が目に入った。
「Club Le mans(現:Club NISMO)」というファンクラブの案内だった。
中でもルマン24時間観戦ツアーを魅力的に思った。
そこに書かれていたのが「日産応援団」。
「そういうのがあるのか。オレ挑戦してみたい。」
そうは思ってもルマン観戦。
「オレには無理(参加)だ。」と思い簡単に諦めていた。
1998年、ルマン24時間レース。
NISSAN R390 GT-1が全車ベスト10圏内完走。
#32号車、3位表彰台。
星野一義氏、ルマンラストラン。
TVを見ながら、その場に居たいと思う自分が隠しきれなかったのだが、それは遠い存在だと思っていた。
1999年。
「たった一年で人生はこうも変わるのか」と思える激動の年になった。
成田空港でスーツケースに日産、ルマンなどのステッカー。
「オレより凄い人がいる。」
「イヤな人だったらどうしよう。」
金銭をフラン(当時)に換金してしまったオレと女房殿。
困っていると、その方の奥様が小銭を差し出してくれた。
それが黒澤団長夫妻との出会いだった。
いざルマン。
日産応援団にオレが居た。
最高の喜びだった。
その後、イケメン君の行動力をキッカケに国内のJGTCに日産応援団が登場。
あまりにも楽しく嬉しく思ったオレ。
何か恩返しがしたい。
そこで団長に許可をもらいブログなどでアピールを始めた。
あの時、まだ誰もやっていなかったと思う。
日産応援団は関係者と思われがちだった。
「そうじゃないんだ。大好きなファン、有志による集まりなんだ」
そういうアピールが必要だった。
日産応援団が発足したのは1996年の事。
オレが参加したのは1999年。
ある程度の事は知っているのが強みであると思う。
そして最近改めて思った。
あの時はあまりにも文章も表現も自分が未熟過ぎた。
¨日産応援団ストーリーを作り直したい¨
書いてもいいかな(笑)?
ライバルの応援団に「いいなぁ、日産応援団にはNジャンさんが居て羨ましい」って言ってもらいたいモンね♪
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日産応援団物語 | 日記
Posted at
2013/05/24 20:52:38