※演出のため、敬称略にて失礼致します。
1997年。
日産はワークスが動き出す。
ルマン挑戦に向けTWRと手を組み、R390 GT-1を開発。
いよいよ名乗りを本格的に挙げた。
前年は新婚旅行として行けた黒澤。
「今年は無理だ」と諦めていた。
電話が鳴った。
相手は大槻添乗員だった。
「行きますよ!! 旗も用意できることになりました!!!」
「参加します!!!!」
即答してしまった黒澤だった。
1997年ルマン24時間耐久レース。
誰もが優勝候補の筆頭にNISSAN R390 GT-1を挙げていた。
ところが…
後にギアボックスが手負いとなる。
この年から、本格的に日産応援団が登場。
予選は勿論の事、24時間耐久応援も開始。
大槻添乗員も黒澤も予選から声を潰し、エキサイトしていた。
そして…
スタート直後、先頭ワークスのポルシェGT-1にニッサンR390が食らいつく。
日産勢、好スタート。
黒澤…
グランドスタンドから離れることも無かった。
だが…手負いとなってしまっているR390 GT-1。
苦戦を強いられる。
夜中の1時間半。
トランスミッションが音をあげた。
1時間半にもわたるピット作業中の日産コール。
辺りの現地人のギャラリーが思わず声をかける。
「オマエ達、死ぬぞ!」
お構いなしに声援が続いていた。
応援団も腹ごしらえとつかの間の休憩、ピットから応援団へのピットサイン『がんばれ!』『眠くないか?』。
ピットとファンのコミュニケーションだった。
1997年ルマン24時間耐久レース。
この年も日産、チャンピオンならず…
黒澤、思った…。
「勝ったときの喜びはどれぐらい嬉しいのか・・・」
~つづく~
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日産応援団物語 | 日記
Posted at
2013/05/25 23:53:48