《第二章 国内GTに日産応援団登場》
※演出のため、敬称略にて失礼致します。
ルマン・イン富士1000kmレースの興奮冷めやまぬ田上家長男のイケメン君、「裕規」。
時は2000年の3月。
日産のルマン撤退はファンにしてみれば衝撃的。
ニスモのスタッフも非常に残念がっていたという。
「ニスモの皆さんに少しでも力を与えることは出来ないか?」
「少しでも無念を晴らすことはできないか?」
彼はそう考えていた。
「GTで日産旗を」と思い、ダメモトで黒澤に連絡。
「GTで日産旗を振りたいので旗を貸して下さい」
二つ返事だった。
後日、トリコロールの日産旗を託された。
だが、裕規。
「皆の色々な沢山の大切な思いが詰まったトリコロールの日産旗を、たかだか1・2回会っただけ・旗振っただけの私に託してくれた。」との事でプレッシャーも感じ取る。
しかし強さを兼ね備えていた。
プレッシャーを感動に変えた。
2000年4月、JGTC(現:SuperGT)開幕戦、もてぎ。
Y32氏率いる、田上一家が予選・決勝と乗り込んだ。
この時は裕規が一人で日産旗を振っていたという
(注)。
注:Y32サンはこのあたり、否定的だが(笑)。
そんな中、ライバル達に押され優勝は難しいと思われたのだが、#1ロックタイトゼクセルGT-Rが見事に優勝。
チェッカーの瞬間はオーバルコースに降りて旗を振っていた。
嬉しくて嬉しくてチームの方へ駆け寄った。
エリック・コマス氏と影山正美氏が手を振りガッツポーズ。
裕規の感動を呼んだ。
表彰式。
安達元社長を始め、ニスモスタッフの皆さんが「ありがとう!」と言って握手を求めてきたという。
「一生懸命応援して良かった。」と嬉しく思ったと同時に「私なんかに大切な旗を快く貸して下さった黒澤団長に感謝の気持ちでいっぱい。」とも思った裕規。
後にその事を知った黒澤。
「自分はいったい何やっていたのだろう…」
自分を責めた。
単独で応援をする勇気は黒澤が一番知っていた。
¨裕規¨の¨勇気¨は、黒澤を動かせた。
黒澤、日産応援団メンバーに連絡を入れた。
「GTです。やりませんか!」
この時、日産応援団の誰もがこう思っただろう。
¨待ってました!¨
~つづく~
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日産応援団物語 | 日記
Posted at
2013/05/31 11:54:05