※演出のため、敬称略にて失礼致します。
2002年シーズン突入。
このシーズンは激動だった。
そして試練の時…
JGTCシリーズは前年同様TIサーキット英田で開幕。
NISMO勢は現在にも継続している赤にスプラッシュのカラーデザインとなった
しかし、開幕戦からGT500のスカイラインGT-Rはライバル達に水をあけられてしまう。
GT300のシルビア勢は善戦していたが…
第2戦、日産応援団、十八番の富士決戦も…
レスポンスは優れるがこの時代には重量級となってしまった直列6気筒エンジンなのか…
市販車のスカイラインGT-Rはこの年の8月で生産終了を発表。
次世代スカイラインはV6エンジン搭載としていた。
NISMO代表取締役社長、安達二郎氏の退任を発表。
ファンクラブ、Club Le Mans(現:Club NISMO)を立ち上げファンの為に様々な企画を発案し日産応援団誕生の基礎を作り上げた一人でもある。
第4戦、マレーシアを最後に星野一義氏が腰痛を訴えマシンを降りた。
数日後引退発表。
第4戦、真夏の富士。
予選終了後、日産応援団は食事会を開催。
日産応援団は初めてひとつになった気がした。
NISMO代表取締役社長、安達二郎氏の退任挨拶。
広報関係者の挨拶、交流。
そして現在の赤い旗への交換式が行われた。
それまでのトリコロールカラーの旗は黒澤団長個人所有のモノ。
新応援旗は、NISMO(日産自動車)からのレンタルとなった。
第五戦よりV6エンジンを搭載するGT-Rが登場。
伝統の直列6気筒エンジンのGT-RがGTのフィールドから去る事となった。
日産応援団、次々と駆け巡るニュースに何を思っただろうか。
それでも勝って欲しい、がんばって欲しいと旗を掲げた。
季節は巡って最終戦鈴鹿になった。
GT-R…一度も勝利を手にすることが無い屈辱のシーズンとなった。
2002年、ニスモフェスティバル。
日本一速い男、星野一義氏の引退セレモニー。
雨の中のラストラン。
F3000がチェリーがシルビアがスカイラインがR92CPがR390が走り抜けた。
日産応援旗、新旧すべて出揃った。
お客さんにも呼びかけ旗手をも増員。
☆特別に撮影許可を頂きました。
1999年の高橋国光氏、2000年の長谷見昌弘氏。
そして2002年の星野一義氏。
往年の日産名ドライバーが駆け抜けて行った。
この時のニスモフェスティバルのキャッチコピーを覚えている。
¨次の時代へ…¨
~つづく~
ブログ一覧 |
日産応援団物語 | 日記
Posted at
2013/06/01 16:23:23