※演出のため、敬称略にて失礼致します。
☆画像提供:フォトヤマさん
前年、リーマンショックが巻き起こり世界中がパニックに陥った。
我が国でも例外ではなく、自動車メーカーも対応に追われる。
この年、真っ先に世界を戦うモータースポーツから手を引いた事はファンにはとても寂しい出来事だった。
国内モータースポーツも厳しい向かい風が吹いていた。
しかし、そんな中。
FIA-GTに日産がGT-Rで挑戦。
ミハエル・クルム氏らが乗り込む。
2009年、決起集会。
この年も横浜市内で行われた。
なんと嬉しい事にドライバーさんもサプライズで登場する。
楽しいゲームや立食パーティーなど盛りだくさんだった。
日産応援団内でハセミモータースポーツとMOLAの応援旗を自主制作で用意しようという事になった。
デザインは応援団内で練り上げ、ネットで一般公開し投票してもらって決めようという手順。
こうして2つの旗が準備された。
ハセミモータースポーツ代表の長谷見昌弘氏は大いに喜び、MOLAの関係者さんは「こんなに小さいチームなのに」と目を潤ませてくれたという。
SuperGT開幕戦、岡山。
天気は雨。
この雨があのチームにとっては恵みの雨となった。
タイヤが見事にマッチ(シャレ?)し、他を圧倒していたのだ。
第2戦、鈴鹿。
レースの難しさを知る。
第3戦、富士。
日産応援団、十八番の富士での優勝の喜びは大きなモノだった。
応援席は大いに盛り上がった。
続く第4戦も快進撃が続く。
第5戦。
「SUGOでNISSAN勢は勝てない」
「勝った事はあるがGT300でそれも随分前」
そんな事が言われていた。
「地元SUGOでNISSANが勝つところが見たいんです!ジンクスを打ち破りましょう!」
くま2315はいつも語っていた。
一滴の雫が伝った。
第6戦、劇的な終盤。
GT300、#46 S-Road MOLA Zが大逆転勝利。
少年(当時)だった、「
なおーきー」が大泣きした。
第7戦、富士。
私設応援団共同企画、記念撮影会。
この時、サプライズで脇阪選手、加藤富士スピードウェイ社長(当時)、GTAの坂東社長。
HONDA、LEXUS、NISSAN系ワークスチームの上席の方々、nismoの眞田社長(当時)らが参加。
撮影は我らがフォトヤマ・カメラマンとNISMO契約カメラマン、小宮岩男氏。
この年も日産勢の快進撃が進むかに思われた。
だが、ノーポイントのレースが何度かあった。
コンスタントにライバルチームがポイントを重ねてきていた。
日産チーム。
この年、チャンピオンを逃してしまった。
ニスモフェスティバル前日。
日産応援団は忘年会。
もちろん運転者の飲酒は御法度。
サプライズで選手が登場してくれた。
ニスモフェスティバル当日。
一年の締めくくりに日産応援団も気合が入る。
日産応援団史上最大本数、46本
すべての応援旗が出揃った!!
旗手が足りずお客さんに旗手を要請。
46本全て旗手が揃った。
メッセージボードの配布。
これまたお客さんが積極的に協力してくれたのだった。
日産コールが炸裂。
2009年シーズンが終わった。
~つづく~
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Posted at
2013/06/08 17:12:55