
1982年。
この年、FISA(現:FIA
※)はスポーツカーレースにGr.C規定を設定。
※1993年にFIA(国際自動車連盟)へ吸収
WEC(World Endurance Championship)シリーズが初開催された。
初開催のこの年、新規格車両エントリー台数を考慮し旧規格のGr.4~Gr.6のエントリーを特別に認めた。
新規格Gr.Cにいち早く対応したのはポルシェ。
ポルシェの956を開発。
ワークスポルシェは新たなるスポンサー、ロスマンズのカラーリングもインパクトを与え、圧倒的な強さを見せた。
プライベートポルシェはGr.6のポルシェ936にクローズドボディを載せていた。
ワークス・ポルシェに敵がいなかったワケじゃない。
旧Gr.6規定ながら2戦、Gr.Cを抑えて勝利を得ていたランチアLC1だった。
時は1982年10月。
WECが日本へやってきた。
大会名は「WEC in JAPAN」。
その様子はTV中継もされて話題になった。
オイラは15の時だった。
もちろんTV観戦だったけれど、今でも覚えている。
注目されていたマシンは間違いなくポルシェ956。
そしてランチアLC1。
マルティーニカラーがポルシェでなくランチアだった事が、当時のオイラには違和感たっぷりだった(笑)。
この初年度のWEC in JAPAN、はWECにおける他のレースとは違い、様々なカテゴリーの独特なマシンが集結していた。
IMSAで活躍する日産のフェアレディZ(280Z)ターボが現れた。
トヨタは童夢と手を組んでセリカをGr.C仕様に仕立ててきた。
マツダはルマンにチャレンジしてきたGr.5既定の254(RX-7)を。
国内プライベートチームはツーリングカーで参戦したチームも多かった。
カローラやサバンナ(RX-3)、シビック、ゴルフもエントリーしていたのはビックリだぜw
中には「GCマシンじゃねぇの?」というのもあったナァ。
レースは序盤、案の定ランチアとポルシェの一騎打ち。
接戦を繰り広げる。
挑戦者でもある国産チームは全く歯が立たない。
石油ショックでモータースポーツ活動を自粛してきた国産ワークス勢のブランクを取り戻すにはまだ時間がかかりそうだと個人的には思っていた。
事実、ポルシェに肩を並べるレベルになるまでそれから数年かかってしまう事になる。
レースは徐々にランチアがポルシェに差を広げられてくる。
日が暮れるトワイライトタイム。
ワークスポルシェが一番のチェッカー。
欧州勢の強さに、何を思うか。
15の自分にとって、遥か彼方の存在に思えた。
あれから35年。
ポルシェとトヨタの一騎打ち。
ファンというワケではないけれど、ポルシェのWEC撤退のニュースはどこか寂しく思える。
同時に、トヨタ、日産、マツダが挑戦していた頃を思い出すのは自分だけじゃないだろうナァ…
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Posted at
2017/10/14 05:30:32