※文章中画像:「日産自動車ブログパーツ」「carview」さんよりお借りしました。
二刀流と言えば聞こえは良い。
プリンスの名前は今現在、販売店の名前として残っている。
ダットサンは一部の海外ブランドのみ。
あの有名な国営放送のドキュメンタリー番組では「あなた方の技術を教えてください。」というトコで終わっている。
1966年。
日産自動車に合併吸収という形になった
プリンス自動車。
時代は輸入自由化により、企業力向上を狙い、自動車各杜を「トヨタ」「日産」「いすゞ」に絞ろうという法案が出されると慌てて各社が対応。
日野はトヨタの傘下、プリンスは日産へ吸収合併を急いだ。
しかし、その法案は廃案になった。
当然企業同士の合併なので様々な問題があったことは想像に難しくない。
ちょっと調べただけでもネ。
特に労働組合でかなり揉めた模様。
今でも続く不安定な成り立ちが…
ある記事ではトップが独裁者のような表現をしている(
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/60091?page=3)。
日産とプリンスの間にある見えない壁。
プリンスから入って来た「スカイライン」と「グロリア」。
そしてトラックの「クリッパー」とマイクロバスの「ホーミー」。
「グロリア」は230系で日産の「セドリック」と姉妹車となり名前だけが残った。
「ホーミー」もワゴン化されE20型で「キャラバン」と姉妹車。
「クリッパー」もプリンス販売店での取り扱いだったけれど、後に日産製のエンジンに乗せ換えられた。
オリジナルとして残っているのは名高き「スカイライン」だけというワケ。
日産は古くから「ダットサン」ブランドとして国内のみならず海外マーケットにも展開。
「ダットサン・ブルーバード」「ダットサン・フェアレディ」「ダットサン・トラック」…
そしてあの「ダットサン・サニー」が登場する。
「ブルーバード」からの派生した上級モデル「ローレル」を日産が企画すると、プリンスと合併したことにより旧プリンス側での生産となった。
「スカイライン」は日産と合併後初の「日産スカイライン」となって登場。
あの傑作「GT-R」も登場。
モータースポーツでは実績のあるプリンス陣営が主導だった。
しかし石油ショックの波が襲ってしまいワークス活動は中止となった。
「ダットサン・サニー」はライバルであるあのクルマと販売合戦が激化すると段々と大きくなり、それまでのセグメントが空白となる。
そこにプリンス側へ白羽の矢が立った。
プリンス側としては日産と合併吸収する前からFF小型車のコンセプトで開発車両があった。
それが「チェリー」だった。
当時、日産の小型車ブランドに「ダットサン」がついたのだが「チェリー」にはつかなかった。
「ダットサンではない」という事らしい。
ワークスマシンによるプロトタイプカーレースは中止になれば、今度はツーリングカーが主役。
「フェアレディZ」「スカイラインGT-R」が強さを見せるが、ライバル達との激突が激しさを増す。
更に石油ショックと排ガス規制に対応すべくこちらもワークス活動は中止。
次世代へシフトすることない夢物語となった。
「サニー」「チェリー」はサーキットを駆け巡る。
「チェリー」はやがて姿を消すが、なんと「サニー」は82年まで活躍していた。
「スカイライン」が新しくなると空前の大ヒット。
横目に見ていた日産側が「そっちばかりじゃ困る」とばかりに同じく2リッター6気筒エンジンを載せた「ブルーバード」を追加。
「スカイライン」対「ブルーバード」の構図。
ところが今度はその「ブルーバード」の上級モデルは「レパード」として登場。
この開発がまた旧プリンス陣営という事になった。
後にも「マーチ」「プレーリー」など手掛けていた旧プリンス陣営。
しかし、それを生かしきれなった日産側。
「ダットサン」ブランドが薄れ「サニー」がFF化する。
「チェリー」からネーミングの変わった「パルサー」と同じ小型車FFでありながら別車という構図になってしばらく続く。
そしてあの901作戦。
旧プリンス陣営と日産陣営と開発合戦はあったが、もはや過去のような戦いのようなモノは無くなっていた。
日産自動車の座間工場閉鎖。
旧プリンス、日産自動車の村山工場閉鎖。
過ぎ去った「ダットサン」と「プリンス」の時代。
「フェアレディZ」「スカイライン」「キャラバン」「シビリアン」だけがその名を残している。
輸出では「トラック」「サファリ」が続いている。
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日産 | 日記
Posted at
2020/04/26 17:17:33