
ルマン24時間耐久レース。
国産メーカー初優勝はマツダ。
その次がトヨタ。
参加しながらも優勝という夢に届かなかったのが日産とホンダ。
日産ファンとしてのNISSANの活躍が果たせなかった優勝のままというのが心残りだし、日産社内でもそうだろうナァ。
かつては国産初の優勝に一番近いと呼ばれていたのに。
深夜TVにかじりついてみていたGr.C時代 89年のルマン。
まさかの伏兵の日産にメルセデスとジャガーが驚きスパイを送り込んだのは有名な話。
結局アクシデントで優勝を逃したが、翌年から十分期待に応えられる実力がある事を証明。
しかし期待の90年も…
あの頃のNISSANワークスは日本のNISMO、米国アメリカNISSANのNPTI、欧州NISSANのNMEを筆頭にプライベーターも含む9台のマシンが登場したが1台も表彰台に上る事は無かった。
某氏によれば「日産には陣頭指揮を執る真のリーダーが居なかった」と後に語っている。
時代はGTになったけれど、97年には痛すぎる事件が待っていた。
鳴り物入りで現れたTWRと組んだ日産に欧州勢が警鐘を鳴らし急なレギュレーション変更を余儀なくされた。
ルマンチャレンジを続けていた日産だけど、表彰台中央に立つ事は出来ず、会社自体が資金難に陥ってしまった。
有名自動車評論家からは「永遠に勝てないレースに投資する日産がわからない。」「何故FRのGT-R(R33 GT-R LM)でルマンやるんだ?意味がわからない。」と手厳しい批判もあった。
だけど、我々ファンも夢を描いてずっと見守っていたかったのも事実なんだよナァ。
ブログ一覧 |
モータースポーツ | 日記
Posted at
2025/06/14 04:55:03