
~99ルマン~
ルマンは何となく静岡に似ている。
パリから西へ200km。新幹線TGVの駅がある。
一歩町から外れると古い情緒ある煉瓦造りの建物が並ぶ。
シャコパン広場で車検が行われるとファンキーなヨーロッパ人が声を掛ける。
「ニッサ~ン!!」
「ニスモ!ニスモ!」
「ジャポーネ!!!」
日産応援団も笑顔を交わす。
予選、NジャンはO氏、黒澤氏と3人であちらこちらで旗を振った。
パドックにも入れてもらえた。
本山、クルム、コマス、亜久里、正美、バン・デ・ポールみんな挨拶をしてくれた。
決勝スタート。
応援団長黒澤氏が声をあげる。
そして一斉に旗が舞った。
現地は日産応援団が名物になっていた。
ヨーロッパ人は「オレもココに来て去年のアンタ達に会ったんだ。」と声をかけてくれる。
「オレにも旗を振らせてくれ。」
そう言った人物が後を絶たない。
思いのほか重たい旗に驚いていた。
毎年、日産応援団の登場を楽しみにしている兄妹、アレックス君(当時9歳)、アンテリーヌちゃん(当時4歳)。
一家で一緒に日産応援団に参加した。
ナイトセッション。
酔っ払いが日産応援団をからかいに来る。
女性参加者に抱きついたり、旗を引っ張ったりする。
モノを投げられたりもした。
挙句の果てにライターで応援旗に火をつけようとするヤツもいた。そんなことに負けない日産応援団。
誰一人相手にしようとしていない。
夜中・・・残念ながらR391はリタイヤになった。
夜が明ける。
最後の生き残りクラ-ジュ・日産が中位グループにいた。
それでもあきらめていない日産応援団。
ピットでマシントラブルを対応していた。
20分費やしただろうか・・・
それでも作業中、「GO!GO!NISSAN!」の掛け声は止まらない。
ゴール・・・
日産は惨敗だった。
それでも日産チームは手を振ってくれた。
こうして99年のルマンは終った。
帰りの飛行機。
黒澤氏は悔しさのあまり一睡もしなかった。
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Posted at
2005/10/19 20:41:27