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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2005年06月08日 イイね!

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その84

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その84~ニスモフェスティバル~

2002年12月1日。朝から富士スピードウェイは雨が降っていた。
雨の為、身動きが億劫になったN-JUNKIE一家。

しかし、雨なら雨で嬉しいことがあった。雨になっても速い男がいた。
星野一義(敬称略)である。

この日、星野の引退セレモニーが開催される。
一目星野を見ようと全国からファンが集まった。

次々とマシンがコースに入る。
日産チェリーが星野の手でドライブされていた。

それから例のF3000が走った。N-JUNKIEはワクワクしながら星野の走りを見ていた。

途中、CLUB LE MANS会員専用テントでは安達二郎氏もセレモニーを行った。
安達さんは簡単な挨拶をすると「星野を見ましょう。」と言ってマイクを置いた。期待していたファンはドテっ。
「星野を見てください。最終コーナーを全開で上がってくるこの富士スピードウェイも見納めです。」

次々と、かつて操ったマシンに乗り込む星野一義。
応援団長Kさんが星野コールをするとスタンドから星野コールが起きた。
日産チェリー、シルビアスーパーシルエット、R32GT-R、R34GT-R、R91CP、R390GT-1。

最後に挨拶をする星野一義。
涙で声にならなかった日本一速い男。

子供から憧れつづけた星野一義、青いスカイラインGT-R、工事が決まった富士スピードウェイ、お世話になった安達二郎氏。
それぞれがN-JUNKIEの中で複雑に絡んだ。

N-JUNKIEに一滴の涙が頬をつたった。
N-JUNKIE女房Yは、何も言わなかった。

星野さん、安達さん、富士スピードウェイ。ありがとう。
Posted at 2005/06/08 00:36:08 | コメント(2) | トラックバック(0) | N-JUNKIEのクルマ好き物語 | 日記
2005年06月08日 イイね!

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その83

~初めての鈴鹿~

義理の弟Tに誘われて初めて鈴鹿に行った。
なかなかどうして、いいサーキットである。
F-1も開催されるのも頷けた。

最終コーナーが下りになってるなんて知らなかった。

レースはNSXが主導権を握りエッソウルトラフロースープラがチャンピオンを決めた。
GT300のシルビアがチャンピオンを取りこぼす。

GT-Rは2002シリーズ遂に優勝が一回も無かった。

レース終了後星野一義が一周回った。
Posted at 2005/06/08 00:07:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | N-JUNKIEのクルマ好き物語 | 日記
2005年06月07日 イイね!

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その82

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その82~信じられない~

一通のメールが来た。
差出人は安達二郎氏だった。

「N-JUNKIEさんの熱い思いに答えたいと思います。ニスモフェスティバルでCABINカラーのF3000を星野で走らせます。N-JUNKIEさんが走らせたと思って結構です。星野の走り、しっかりとその目に焼き付けてください。」

N-JUNKIEは呆然だった。
少し時間が経った頃、「おかあちゃん!!大変だ!!!!」と言った。

安達さんからの心憎いプレゼントだった。
Posted at 2005/06/07 23:08:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | N-JUNKIEのクルマ好き物語 | 日記
2005年06月07日 イイね!

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その81

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その81~安達二郎さん~

GT第4戦、富士ラウンドをむかえようとしていた。
N-JUNKIEは例の如く夏の富士を見送ろうとしていた。

NISMOから日産応援団宛に一通の手紙が来た。
そこにも衝撃的なニュースがあった。
NISMO社長、安達二郎氏が社長を退任することになった。
かつて「CLUB LE MANS」というファンクラブを立ち上げレースに近い関係にしようとしてくれた安達二郎氏。

GT第4戦の予選終了後、日産応援団と食事会をしたいとの意向を現した。同時に日産応援旗が新しくなるためのセレモニーも同時に開催。

N-JUNKIEは予選を見た。大々的にやる決勝とは違っていた。
それでも女房Yはこう言った。「あたし、予選をはじめて見た。これはこれで楽しいよね。」

予選観戦後、御殿場の会場で関係者が集合。
安達二郎さんを取り囲み食事会。
そして日産旗の交換式。

N-JUNKIEにとってあのトリコロールカラーの日産旗には思い出がある。ルマン24時間、パレード、GT。
あの旗が関係者の手に入った時、寂しさを感じた。
しかし、新しい真っ赤な応援旗が次の時代を感じさせる。

日産応援団はそれぞれ面識が無かった。これを機会にコミュニケーションを図り、一段となった。

日産自動車、NISMOのモータースポーツ関係者がN-JUNKIE達と一緒に食事した。
N-JUNKIEは緊張してしまいノドに食事が通らない。
長女は平気で食べていた。

日産自動車モータースポーツ事業部Sさんがこう言った。
「2000年にルマンへ挑戦についてとC・ゴーンに言ったんです。『それでいくら利益が出るんですか?』と言われたんですよ。彼もモータースポーツが大好きなんですが、そう言ったんです。」

安達二郎さんと話をした。
サッカーの話、クルマの話、ドライバーの話。初めて面と向かってゆっくり話が出来た。
「N-JUNKIEさん、藤枝だけあってサッカー好きなんですね。」
「クルムは、カカア天下でアタマが公子さんに上がらないんですよ。」
「ボクね、VIPに見えるでしょ?愛車がシーマとかって。だけどね、ボクの愛車はマーチなんですよ(大爆笑)。」

飾らない安達二郎氏が大好きになった。
Posted at 2005/06/07 22:45:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | N-JUNKIEのクルマ好き物語 | 日記
2005年06月07日 イイね!

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その80

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その80~さらばスカイラインGT-R また逢う日まで~

2002年。スカイラインGT-Rは二度目の生産中止になった。
シルビアもスープラもRX-7も消滅した。

地球環境と低燃費時代。
新しい排気ガス規制に対応できない。
さらに対応するべくコスト回収にメドがつかないというのが理由だったらしい。

新しい時代を予感させていた日本の自動車業界。

もう二度とGT-Rを新車で購入出来なくなると勝手に思い込んだN-JUNKIEだった。

日産スカイラインGT-R封印。

N-JUNKIEにとって運命の瞬間のひとつだったのかもしれない。
Posted at 2005/06/07 22:25:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | N-JUNKIEのクルマ好き物語 | 日記

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「ルマンにNISSANの夢 http://cvw.jp/b/116827/48484444/
何シテル?   06/14 04:55
「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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かつて所有していたスカイラインGTS-t TypeM。 初の新車購入でした。
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