~GT選手権~
1994年。GT選手権(JGTC)シリーズが始まった。
開催当初のマシンは試行錯誤で面白いマシンがいっぱいあった。
スカイラインGT-RはR32でGr.Aの改造車だったし、シルビアもレギュレーションに合わせた改造で面影がノーマル車に近かった。
スープラもシルビア同様だった。
フェアレディZにしても今のZみたいに迫力あるものでもなかった。
プライベートチームはフェラーリF40、ポルシェ・ターボなどコストを重視していた。
参加台数にしても今とは比べ物にもならなかった。
GT-RがR33にスイッチしたときレギュレーションが変わった。
4WDは100kgのウェイトを背負う。
GT-RはFRの2WDに改造された。
センセーションを巻き起こしたのは1996年。マクラーレンF-1GT-R。あまりにも速くて国産チームは歯が立たず翌年、事実上追い出される事になった。
N-JUNKIEは今現在まで2004年の閉鎖されていた時を除いてゴールデンウィークに組まれる富士スピードウェイに通っている。自慢じゃないけど皆勤賞である。
夏のシリーズは出来るだけ行くようにしていた。
忘れられないのは1995年の富士決戦。
圧倒的パフォーマンスを発揮するマシンに目を奪われた。
F-1帰りのドライバーのE・コマス(敬称略)が駆るトヨタ・セルモスープラ。
スタートするやいなや怒涛のプッシュ。他車を寄せ付けなかった。
あのスカイラインGT―RやフェラーリF40など相手にもならなかった。
瞬く間に殆どのクルマを周回遅れにした。
N-JUNKIEは彼の走りに感激した。
残念ながらトラブルでリタイヤしてしまったが今でも彼の走りはN-JUNKIEの記憶に刻まれた。
「コマス、日産に乗らないかな?」と思っていた。
1998年。N-JUNKIEは耳を疑った。E・コマスが日産へ移籍したのである。
Posted at 2005/06/04 11:07:09 | |
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N-JUNKIEのクルマ好き物語 | 日記