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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2006年08月07日 イイね!

Codename ¨RX¨ #10

~Gr.Aを制覇せよ~

1989年。
NISMOはレース車両開発を着手。

2600cc、600ps、4WDをレーシングドライバーである「星野一義」「長谷見昌弘」(共に敬称略)に告げた。

二人とも4WDに大反対。
クセの強いアンダーステアが予想されるからだった。

「4WD?勘弁してくれ。冗談じゃない。」

しかし乗り込むと驚きを隠せない。
素晴らしいハンドリング、強烈な加速、車体をガッチリ支えるサスペンション。

二人は降りたあと主張を撤回したという。
Posted at 2006/08/07 22:58:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | スカイライン | 日記
2006年08月07日 イイね!

Codename ¨RX¨ #9

Codename ¨RX¨ #9~スカイラインGT-R登場~

試作車に乗り込む日産の敏腕テストドライバー。
加藤博義(敬称略)。

元々はスカイラインが嫌いな男だった。

村山テストコースに乗り込む加藤。
ABSが思うように働かない。
加藤は大慌てだった。

問題山積み。
それでもひとつひとつ向き合い乗り込む加藤だった。

88年9月。
テスト車両はスポーツカーの聖地、ドイツ・ニュルブルリンクサーキット北コースに持ち込まれた。

初めて走る加藤。
「とんでも無い!生きて帰れるかわからない!」
その後、自身でR33、R34のテストカーをニュルで走らせることになり、物凄いタイムを刻むことになるのだが、このときは出鼻をくじかれた。

代わってドライバーはダークチョルマン(敬称略)。
酷評をする。
来る日も来る日も改善を進めるメカニック兼ドライバーの加藤。

最速ラップ8分10秒11。

そして89年8月。ついにR32型スカイラインGT-Rが発売された。
16年振りに発売された、このR32スカイラインGT-Rは一大センセーションを巻き起こした。
国産メーカーはもちろん、マスコミも関係者も着目していたのである。

89年9月。
再びニュルの地を走るスカイラインGT-R。
今度は8分20秒11。
当時ポルシェ911ターボでも8分30秒を切ることは不可能と呼ばれていた。

日産は「フェアレディZ 300ZXツインターボ」と「スカイライン GT-R」でスポーツ2大看板を形成し901作戦のフラッグシップモデルの象徴になった。

そして翌90年2月。
Gr.Aホモロゲモデル「GT-R NISMO」を500台の限定販売。メカチューン、エアロパーツをおごり、オーディオ、ABS、エアコンなどを廃止している。
Posted at 2006/08/07 22:46:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | スカイライン | 日記
2006年08月06日 イイね!

Codename ¨RX¨ #8

~日産 P901作戦~

「90年に世界一の走りを実現しよう」
こんな目標が日産社内で持ち上がった。

スカイライン、フェアレディZ、プリメーラ、シルビア、180SX、ブルーバードSSS、パルサー、セドリック・グロリア、シーマなどが筆頭だった。

一次試作エンジンをR31のボディに搭載し栃木のテストコースを走らせた。
シャシー担当や車両実験担当が乗る前に行っていた意見と乗った後の意見はまるで違っていた。
実際に走ってみないとわからないことを痛感したのである。

レース車両の開発も進む。
R31 GTS-RにATTESA E-TSを組み込んだ実験レース車両。
ドライバー「鈴木亜久里(敬称略)」にスタッフは言った。
「スピンしたって構わない。踏んで欲しい」

数週に渡りテストドライブする鈴木亜久里。
戻って来るなり驚いた顔で言った。
「どんなに踏んでもスピンしないんだ。それどころかグイグイ加速していく。どうなってるの?これ?」
その瞬間スタッフはガッチリ握手をした。

可変4WDの種明かしをすると鈴木亜久里は更に驚いたという。
Posted at 2006/08/06 17:18:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | スカイライン | 日記
2006年08月06日 イイね!

Codename ¨RX¨ #7

Codename ¨RX¨ #7~RB26DETT後編~

RB26DETTの開発に乗り出した。
隣はフェアレディZ用のVGDETTの開発グループがいた。

直6とV6の開発陣営。
日産社内での良きライバルでもあった。
「VGには負けたくない・・・・」

初めてRB26DETTのベンチテストで火が入った。
目標は280ps。
エンジンコンセプトは「中速から高速へかけての圧倒的なトルク感」。

火入れ式。
驚くことに315psを達成。
本当はもっと行く筈だったが実験担当は妥協した。

RB26DETTエンジンは従来のターボエンジンの問題点などを含め塾成されていく。

レースカーエンジン開発も進んでいく。
1987年。
中期基本計画に盛り込まれた。
600ps/7600rpm
62kg-m/6000rpm
レース開発陣営は開発の手を休めなかった。

こうして名機RB26DETTは完成したのである。
Posted at 2006/08/06 10:29:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | スカイライン | 日記
2006年08月05日 イイね!

Codename ¨RX¨ #6

~RB26DETT前編~

Gr.A制覇を目論むスカイライン。
スカイラインは2リッターだという時代だった。
伊東修令(敬称略)は悩んだ。

だが・・・・
規定と戦力分析を行いながら2.35リッターツインターボエンジンの計画を立てた。
その頃は2WD、車両重量は1250kg、260psを想定していた。

1986年末。
「ATTESA E-TS」4WDシステム導入が決まる。
櫻井眞一郎(敬称略)が思想としてきた4WDだ。
開発チームのET-S試乗会で開発企画の大変更がされた。
普段フロント:リアのトルク配分が0:100のFRだが、状況により30:70、50:50など可変できる4WDシステムの開発に成功したのであった。

4WD搭載。車重100kg増、馬力280psにアップ。
対応するには排気量アップが望まれる。
こうして2.6リッターエンジン開発がスタートすることになった。

名機RB26DETT開発の幕開けである。


Posted at 2006/08/05 19:30:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | スカイライン | 日記

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「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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