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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2008年05月29日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #増刊号2

Nジャンとモータースポーツ #増刊号2~憧れのサーキット~

この頃になるともう社会人になっていたよ。
でもサーキットには行っていないんだ。

親父の言葉「TVで見りゃいい」ってのがアタマにあったんだね。
それにサーキットなんて行ったことが無かったから心細かったんだろうね。
クルマクルマで没頭して自分のクルマにつぎ込んじゃって余裕も無かったし。

居ても経っても居られなくなって憧れの富士スピードウェイに行ったのは1991年のインターTEC。
もうその迫力は言葉に出来なけりゃ文章にも出来ないことが判明。

生で見るレースの迫力に魅了されて現在に至るよ。
1991年のインターTECから数えて今年2008年。
2004年の改修工事を除けばもう16年通っているんだ。

つくづくオレってバカだと思うよ。
でもね、バカだから面白いんだよ。
バカでナンボだと思っているよ。
そうだろ?
2008年05月28日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #26

Nジャンとモータースポーツ #26~頭角~

1988年。
ホンダは快進撃を続けるんだ。
遂に最強マクラーレンMP4/4/ホンダV6ターボでシリーズを闘うことになり、アイルトン・セナ VS アラン・プロストの構図が出来上がったんだ。
チャンピオンはアイルトン・セナ選手。
最終戦鈴鹿でチャンピオンを決めたんだよ。
しかもホンダはこの年16戦15勝だぜ!

WECではポルシェとジャグヮーにライバルが登場するんだ。
ソーバー(ザウバー)・メルセデスだよ。
だけどまだ結果を残せなかったけど十分戦闘力があったんだよ。
WEC in JAPANはこの年で終わってしまうんだ。
最後のWEC in JAPANの覇者はジャグヮーだったんだ。

ルマンはなんとポルシェを破りジャグヮーが優勝したよ。
国産勢は総勢9台中6台が完走したんだ。
段々レベルアップしてきていたけどまだ距離は埋められなかったなぁ・・・

国内F3000。
ヤマハ・エンジンユーザーの鈴木亜久里氏がチャンピオンになってさ。
F-1日本GPにスポット参戦も果たして翌年、F-1に行くことが発表されたんだよ。

グラチャンはこの年のシリーズでピリオドが打たれてしまったんだよ。

Gr.AではスカイラインGTS-Rが活躍を始めるんだ。
スープラGT、フォードシエラと火花を散らしたんだ。
#12 CALSONIC SKYLINEではブルーのスカGだったから、アレは興奮したな。
あ、そうそう、12号車のドライバーは和田孝夫選手と北野元選手だったんだよ。
でもシリーズを制したのは国内プライベートチームのフォード・シエラだったんだよ。
2008年05月28日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #25

Nジャンとモータースポーツ #25~遂に頂点か~

1987年。
オレも20歳になった。

日本はF-1ブームに沸いたんだ。
日本人初のフル参戦。
ホンダパワーの炸裂。
フジテレビによる全戦中継。
時には特番も組まれたよ。

チャンピオンを獲得したのはウイリアムズ・ホンダのネルソン・ピケ氏。
ホンダエンジンチームのドライバーとしては初、チーム(コンストラクターズ・タイトル)を2年連続で獲得。
遂にホンダエンジンの完全制覇達成。
世界にその名を知らしめたんだよ。
遂に頂点に立ったってことだよ。

中嶋選手の活躍も光ったよ。
シルバーストンでは4位でゴールしたんだ。

日本GPも大人気だ。
理由はもう想像に難しくないだろ?
だけど波乱があったんだよ。
なんと勝ったのはホンダじゃなく、フェラーリのゲルハルト・ベルガー選手だったんだ。

ルマンはまたもポルシェが勝ったんだ。
しかし何かが動き始めるんだよ。
WECではシルクカット・チームのジャガーXJR8がチャンピオンになって宿敵ポルシェを破ったんだ。
日本もトヨタ、日産、マツダがGr.Cにチャレンジするんだけど・・・・

国内フォーミュラはF-2からF3000シリーズになった。
星野一義選手はゼッケンナンバー1を死守。
グラチャンでも活躍を見せる。

面白いエピソードがあるんだけど、星野一義さんはレイトンハウスカラーだったんだよ。そしてチームメイトが関谷正徳選手だったんだ。

まだ国内Gr.AもGr.Cも相変わらず外国車が幅を利かせていたよ。
そしてインターTECではHCR31 スカイラインGTS-Rがデビューするんだ。
レーシングドライバーも「星野一義・(故)アンダース・オロフソン」組と必勝体勢。
だけどチェッカーを真っ先に潜ったのはワークスのフォード・シエラRS500だったなぁ。

2008年05月27日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #24

Nジャンとモータースポーツ #24~HOSHINO!!~

1986年春のこと。
日産はルマンチャレンジを計画してドライバーも決定してたんだよ。
星野一義選手も決まっていて一番弟子の(故)萩原光選手とも一緒に行く予定だったんだ。
でも・・・・

萩原光選手の死に涙が止まらなかった星野一義氏。
萩原選手の弟子だった影山正彦・正美兄弟。
街道レーサー時代の「小田原の速いセリカ」で走り屋あがりの萩原光選手の死にモータースポーツファンの間にも波紋が広がったんだ。

日産は萩原選手の後任に一人のドライバーを抜擢したんだ。
それが「鈴木亜久里」氏なんだよ。

そして国内にビッグニュースが流れたんだ。
鈴鹿で日本GP開催の復活を発表。
ホンダがウイリアムズに加えてチーム・ロータスへのエンジン供給を発表したんだ。
そして中嶋悟選手のチーム・ロータス入りを発表。日本人初の全参戦F-1ドライバーが誕生したんだ。

このニュースにモータースポーツファンは沸いたんだ。

だけど・・・・・・

ホンダが選んだのは中嶋悟氏。星野一義氏じゃなかったんだ。
もちろんシートが二つあるのが良いのだけれど、そうモータースポーツだって甘くない。
もちろん星野さんが選ばれたって実力もあるから期待は出来るんだよ。
だけど・・・・
中嶋悟氏、当時34歳。星野一義氏、当時39歳。
そういうことらしいよ。

星野一義氏は後にそのことが悔しくてたまらなかったって著書に書いたよ。
オレも「残念」って、そう思ったよ。
だけど、どこか複雑なところがあってね。
他の人がどう考えているかわからないけれど、個人的には「星野=日産」であって欲しいんだよね。
「星野さん、日産で、ルマンで日の丸揚げてよ。応援してるからさ。」ってこれまた純粋に思ったものだったよ。
そう、世界への夢は終わっちゃいないってね。

まだオレも青臭い19歳だったよ。

2008年05月27日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #23

Nジャンとモータースポーツ #23~チャレンジ~

1986年。
F-1ではA・プロストが最終戦で逆転優勝。チャンピオンになった。
誰もがロータスのナイジェル・マンセルがチャンピオンだと思っていたんだけど運命ってのは無情だよね。タイヤバーストで戦線離脱だったそうだよ。
余談だけどこの年、ロータスのチームメイト同士のナイジェル・マンセル選手と(故)アイルトン・セナ選手は取っ組み合いで喧嘩したそうだよ。

国内ではヤマハエンジンが大暴れ。
F-2もグラチャンでも優勝を重ねたんだ。
特にグラチャンではジェフ・リース選手が初の外国人チャンピオンになったりしたんだよ。

ルマンはポルシェの完全勝利。
1位~10位まで独占ときたもんだ。
こりゃ、凄すぎるよね。
トヨタもマツダもリタイヤに泣いたんだよ。
ところがこの年からニッサンがチャレンジを開始したんだ。
完走したのは16位だった「長谷見昌弘・和田孝夫・ジェイムズ ウイーバー」各選手のドライブするニッサンR85Vの1台だけだったんだよ。

国内でのGr.Cカテゴリーでニッサンが頭角を露にするんだ。
ただし世界の壁はまだ厚かったWEC in JAPANだったよ。

Gr.Aではやっとスカイラインが速くなってきたんだ。
ただ型遅れのR30型だったんだ。

そしてこの86年ってのは、激動の86年だったんだよ。

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「【NISSAN】3代目リーフ発表 http://cvw.jp/b/116827/48492013/
何シテル?   06/18 01:07
「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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かつて所有していたスカイラインGTS-t TypeM。 初の新車購入でした。
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