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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2008年05月25日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #17

Nジャンとモータースポーツ #17 ~遂に帰ってきたぞ!!~

富士のグラチャンレースの前座レースなのに、メインのGCより盛り上がったレースがある。
日本のGr.5カテゴリー(スーパーシルエット シリーズ)に、あのクルマが遂に帰ってきた(正確には筑波戦でデビュー)。

スカイライン RSターボ シルエット。
久しぶりに姿を現したスカGレーシングだよ。
同時にブルーバード SSS ターボ シルエット、シルビア ターボ シルエットも登場したんだ。
そう、通称「日産 ターボ 軍団」だ。
「火を噴くマシン」と言われたこのマシンは絶大な人気となったよ。
スカGは長谷見昌弘選手、ブルは柳田春人(真孝の父)選手、シルは星野一義選手だ。

当時シルビアのTVCMで星野さん出演してたけどさ。


そりゃもうシビれたってモンじゃないよ。
ナイショだけど、オレさ、こっそり長谷見さんを応援しちゃったんだよ(苦笑)。

その後、母親の弟がカメラと写真が趣味で器材の展示会に行ったとき、8ミリの映写機でこの模様が映し出されていたよ。
サンプルとしての放映だったけど、メチャクチャ「ツボ」に来たんだ。



富士でこのスカGがスタートした瞬間、お客さんが総立ちになったそうだよ。
長谷見さんはそのときのこと忘れられないそうだよ。

2008年05月25日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #16

Nジャンとモータースポーツ #16~激動の1982年~

1982年。
この年はモータースポーツ革命というかそんなイメージが強かったなぁ。
オレも中学3年になった。

F-1界のフェラーリチームに衝撃が走ったんだ。
(故)ジル・ビルニューブ(ジャックの父)氏が事故死。
(故)テディ・ピローニ氏はクラッシュで再起不能となったワケ。
チームチャンピオンがフェラーリだったのは皮肉だったよね。
ドライバーとしてのチャンピオンは優勝1回、ポール1回というある意味伝説を作ったウイリアムズのケケ・ロズベルグ(ニコの父)氏。
散々陰口叩かれたようだったよ。

国内の最高峰F-2じゃ、ホンダパワーで快進撃を続ける中嶋悟選手。
ヨーロッパでも好成績を残すことに・・・

そしてスポーツカー選手権にも大革命が起こる。
世界スポーツカー選手権WECの開催だよ。
そう、伝説のGr.Cカテゴリーだ。
ル・マン24時間レースはCカーのポルシェ956が完全勝利した。
ポルシェはいち早くGr.Cカテゴリーに対応したんだ。
でも始まったばかりのGr.Cだったから台数が少なかった。
そんなこともあってGr.6もエントリー可能だったんだよ。
その最大のライバルが、ランチア・マルティーニG6だったんだ。
日本人として嬉しかったのは遂にマツダ・ロータリーが14位だったけど初完走したんだ。あれは嬉しかったね。

WECが日本の富士スピードウェイにも登場するんだ。
それがWEC in JAPANだ。
TVでも中継されたよ。
日本もトヨタと童夢がジョイントしてトヨタ・セリカCを登場させたんだ。
だけどレースは完全にポルシェとランチァが支配するんだ。
結果ポルシェの完勝。
これまた日本車との差を見せ付けられたよ・・・・
2008年05月24日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #15

Nジャンとモータースポーツ #15~情熱再燃~

中学になると学校行事は多忙になる。

1981年。
完全休日は限られる中、オレは親父に連れられてR30スカイラインの発表展示会に行ったんだ。

その時、パンフレットに描かれたイラスト見て興奮したね。
当時は「レーシング イメージ」としか公表されていなかったと記憶してるけど、紛れも無いスカイラインGr.5だったよ。
雑誌では「スカイライン サーキット復帰」という説が取りざたされていたよ。

オレも興奮したな。
でも日産からの正式な情報を知ったワケじゃなかったから半信半疑だったよ。
まぁ、スカイラインGT-R復活説がウワサになっていたのも事実だったし。
その後、R30スカイラインはRSシリーズを追加。
そして・・・あははは(笑)。
↑後の章に登場します。

F-1では遂にターボエンジン時代に突入。
後にホンダエンジンを駆るネルソン・ピケ選手がタイトルを獲得。
ブラバムブラバムBT49/フォードDFVを主に駆っていたけれどBT50BMWターボも登場させたんだな。
まぁ、アレはまだ熟成させる真っ最中だったけどね。

ルマンは936が最後になった。そしてチャンピオンに…

ラリーでは新時代に突入するんだ。
4WD+ターボだよ。
そう、今の図式が出来上がる。
アウディ・クワトロが登場だ。

驚いたのはヨーロッパF2のホンダエンジンだよ。
なんとチャンピオンになったんだぜ!
ドライバーは、その後日本でも活躍するジェフ・リース氏。
これまたお恥ずかしながら後から知ったけどさ(苦笑)。

そして遂に星野選手が破れたんだ。
「同じチームに同じチームにエースは2人要らない」の名言を残しヒーローズレーシングを飛び出した中嶋悟選手。
かつての名手「生沢徹」率いる「ⅰ&ⅰレーシング」に移籍。
ホンダパワーを手に入れたんだ。
中嶋悟選手の快進撃が止まらなくてね。
最終戦のF-2じゃ世界の強豪に差をつけて優勝してチャンピオンになっちゃったんだな。
2008年05月24日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #増刊号

Nジャンとモータースポーツ #増刊号 ~コレを書くにあたって~

今まで知ってきたエピソード。
それは確かに覚えているけど、さすがにそれがいつだったとかという具体的なところは「うろ覚え」です。
その辺りは手元の資料や他のサイトを使って調べて書き加えています。

何かこう思い出しながら書いていると当時の記憶が蘇ります。
さぁ、いよいよジャパンパワーが炸裂する時代に突入しますよ!
2008年05月24日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #14

Nジャンとモータースポーツ #14 ~長谷見昌弘選手 黄金時代と静かなジャパンパワーのプロローグ~

1980年。
オレは中学に上がった。
相変わらずクルマバカは全く抜けていないよ(笑)。

この年、F-1のチャンピオンに「ウィリアムズ」が名乗りを挙げたよ。
ウィリアムズ FW07だ。

しかし定番だったエンジン、フォードコスワーズDFVに強力なライバルが登場する。
フェラーリ、ルノーに搭載されたターボエンジンだった。
F-1はいよいよターボ時代に突入することになったんだ。

ルマンはプライベーターが主体。
遂にワークスポルシェがプライベートチームのロンデューM379B/DFVに敗れてしまう。

そんな中、この80年。
日本国内では、長谷見昌弘選手(現:ハセミ モータースポーツ代表)が大暴れ。
全日本F2、鈴鹿F2、富士GC、全日本FP(フォーミュラ パシフィック)の全てのタイトルを獲得したんだ。
長谷見さんのことはハコスカで知ってたけど、こんなに凄い人だったんだって改めて気付いたよ。

サファリラリーでニッサン・バイオレットが連勝したニュースはHOTだったよ。
※1979年~1982年 4大会連続総合優勝

そして、遂にホンダがヨーロッパF2にエンジン供給開始したんだ。
ホンダ遂に復活とニュースになったのを覚えてる。
そのときのドライバーがナイジェル・マンセル選手だったのは後から知ったよ。

プロフィール

「【NISSAN】3代目リーフ発表 http://cvw.jp/b/116827/48492013/
何シテル?   06/18 01:07
「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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スカG中毒常習犯。
日産 スカイラインクーペ 日産 スカイラインクーペ
かつて所有していたスカイラインGTS-t TypeM。 初の新車購入でした。
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