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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2008年05月22日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #8

Nジャンとモータースポーツ #8~1977年のシーン~

1977年のシーンは物凄かった。
星野一義選手は既に日本のトップドライバーに肩を並べたどころか、その名を知らしめたんだ。
この頃だろね、「日本一速い男」って呼ばれたのは。
彼のマシンはノバ・エンジニアリングによるもの。
ノバの代表は、あの森脇基恭さんだよ。

そしてルマンだけど今度はポルシェがGr.6カテゴリーのポルシェ936ターボで大暴れ。
Gr.5も935ターボ77に進化したんだ。
ホント、ポルシェって凄い会社だと思ったよ。

F-1も凄い。
各チーム物凄く進化していた。
日本GPも予定通り開催されたけどあんな事故が起きてしまい翌年から中止されてしまったんだよ。

2008年05月22日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #7

Nジャンとモータースポーツ #7 ~ド肝を抜かれたカルチャーショック~

タミヤ模型のレースカーモデルを見た。
あまりにもそのスタイルの凄さに圧倒したんだ。

ポルシェ935ターボ
当時Gr.5と呼ばれるカテゴリーでこのポルシェ935が活躍していた。
ポルシェの独特なひょっこり出たヘッドランプを削ぎ落としたようなデザイン、前後張り出す巨大なオバフェン(オーバーフェンダー)、更に巨大なリアウィング。
それでいて市販車の面影を残すモンスターマシン。

「世界にはこんな凄いマシンがあるのか!」

そこでこのクルマを知りたくなってね。
雑誌やら何やら調べまくったよ。

同時にルマン24時間、デイトナ24時間、F-1 モナコGP、インディ500マイルなどを知ったんだ。
公道レースの謎が解けたワケ。
インディがオーバルコースな訳も知ったよ。
世界には凄いレースがあることを知ったんだな。
しかし我が国にも富士24時間レースがあったことを知ったんだ。
中止になった理由は様々あるんだけど、そのひとつは、小学生だったNジャンには理解ができなかった(笑)。
まさかね・・・あんな事件がね。。。。

翌年の1977年。
ヨーロッパ(ドイツ)のGr.5カテゴリーでは、やっぱりポルシェ935ターボが幅を利かせていたんだよ。
だけどそれは突然登場したんだよ。
何だと思う?
それはね、ドイツ・トヨタがエントリーさせたのはがセリカLB・ターボGr.5でね。
なんとベルギー戦で優勝しちゃうんだ。

タミヤ模型で模型化(後にラジコン化)されたんだよね。
速攻で買いに行ったさ(笑)。

余談だけどさ、当時の日本のドライバー、高原敬武さんは935をドライブして「とんでもねぇ!!」って叫んだらしいよ。
2008年05月22日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #6

~トヨタ セリカの活躍~

ある日、学校から帰ってくるとTVでセリカのモータースポーツシーンが映し出されていたんだ。
「なんだ?このレース、普通の道じゃないか?」
公道レースなんて知らなかったNジャンには驚きを隠せない。

1974年の香港マカオGP(ツーリングカー・セニアクラス)レースの模様だった。
トヨタ・セリカを駆る「見崎清志」選手(だったと思います。間違えていたらすみません)は強豪ポルシェを従え優勝したんだ。
「セリカ、凄い!!ポルシェを破った!!」って思ったね。

例の如く立ち読みに行ってセリカのモータースポーツを知りたくなってね。
今じゃ無くなってしまったけど富士1000kmレースってのが伝統であったんだよ。
1973年にトヨタ・セリカLBターボ(高橋晴邦・見崎清志選手組)が優勝したことを知ったんだ。




ポルシェでターボというエンジン技術は知っていたけれどターボをセリカに載せたんだね(当時 国産市販車にターボモデルは無かった)。
※かつてのトヨタ7や日産バイオレットレーシングでターボを載せたことがあるのは後で知りました。

その後、セリカはヨーロッパで大活躍することになるんだよ(後の章で登場します)。



2008年05月22日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #5

Nジャンとモータースポーツ #5 ~どっこい生きてるツーリングカーレース~

石油ショックの尾を引いてメーカーはワークス活動中止の中、プライベーター達が頑張っていた。

フェアレディZ、サバンナ、セリカ、サニー、レビン、トレノ・・・・
特にマイナーツーリングやフレッシュマンレースでの激闘はモータースポーツ雑誌を立ち読みしている小学生のNジャンでさえ面白いと思ったな。

その中で一際目立っていたのは日産のサニー。
ライバルはトヨタのスターレット。
少し遅れてホンダのシビックが参戦したよ。
そういうのもあってかオレはハコのレースが好きでね。

特にサニーには強豪プライベターがしのぎを削っていたよ。
東名レーシングとか土屋エンジニアリングとかね。
聞いたことあるだろ?
東名レーシングは今、ホシノレーシングのエンジンメンテナンスをしてるし、土屋さんはご存知SuperGTの#25 ECLIPSE ADVAN SC430で参戦。
代表の土屋春雄さんは土屋武士選手のお父さん。

当時国内ではグラチャン(富士グランドチャンピオンレース)とかF2とか主流だったけど、オレはやっぱりハコのレースが好きだったな。
2008年05月21日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #4

Nジャンとモータースポーツ #4~F-1を知る~

この頃になると、あのスーパーカーブームが到来。
男の子を中心に大ブームになったんだよ。
オレもその一人。

マンガの影響もあってF-1を知ったんだ。
1976年、富士スピードウェイで日本初のF-1が開催されたんだ
偶然見たTVでその模様が放送されていたんだ。

アレは雨の日だったよ。
星野さんの走りが輝いていたんだけど残念なことに…
あ、そうそう当時スポット参戦で日本人も走ったことがあったんだよ。

そのときのエピソードは後から知ったんだけどね(笑)。
それでレース終わったとき、日本人の成績は…
世界と日本とのギャップを見せ付けられたよ。
アレはショックだったな。

でも優勝したJPSカラーのロータス77がカッコ良くてね。大好きになったんだ。
他にも面白いマシンがあった。
6輪車のタイレル(ティレルと呼ばないのがツー:笑)P34、マクラーレンM23、ブラバムBT45、フェラーリ312T2とか。

親父にF-1特集本を買ってもらったんだ。
もう色々覚えたよね。

マシンの殆どエンジンはフォードコスワーズDFVだったんだ。
面白いのはフェラーリはフェラーリエンジン、ブラバムはアルファロメオエンジンだしリジェはマトラエンジンだったんだ。

ドライバーやヘルメットカラーも覚えたんだよ。
マリオ・アンドレッティ、ニキ・ラウダ、(故)ジェームス・ハント、ヨッヘン・マス、(故)クレイ・レガッツォーニ、(故)パトリック・デパイエ、ジョディ・シェクター、ジャック・ラフィー、ジョン・ワトソン…etc各選手。

F-1は世界最高峰。
日本車、日本人は遠い世界だと思ってたんだ。

数日後、その雑誌でHONDAがかつてF-1にチャレンジしていたことが記載されていたのに気付いたんだ。
当時9歳のNジャン。
それには驚かされたなぁ。

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「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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かつて所有していたスカイラインGTS-t TypeM。 初の新車購入でした。
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