※画像:carviewさんよりお借りしました。
☆このログは個人の好みを主に書いています(しかも少年時代)。
1970年代前半、少年時代のオイラはケンメリ型スカイラインでクルマに熱中したのが最初で、コミックのサーキットの狼に夢中。
そしてやってきたスーパーカーブームの波に飲まれ。クルマという乗り物に夢中になっていた。
ところが、石油ショックの波に飲まれ、第二波もやってきた。
安全と排気ガス規制に国産車は高性能車を奪われ、低燃費とクリーンガス、安全性を重視する時代になった。
例のアメリカ、マスキー法をそのままパクって当時のお上が我が国に展開したからメーカーもたまったモンじゃない。
一番有名なのはケンメリのスカイラインGT-Rが対応できず生産終了し、その残されたラインナップはデートカー、旦那仕様、と様子を変えてきた。
しかしフェアレディZ、セリカ、117クーペ、ギャランGTOなど魅力的なモデルがまだ踏ん張って国内市場を支えていた。
ところが、まずオイラが大好きだったクルマ達に襲い掛かったのが大型バンパー。
今やプラスチックの衝撃吸収バンパーだが、かつてはアイアンバンパー。
それもメッキのタイプが多かったのだが、その末期は大型化されゴムのラバーが付いた。
そう、あのデザインを崩壊させる悪名高きアメリカで義務付けられた5マイルバンパーだ(
https://car-kobanashi.com/2023/07/23/5mile-bumper-countach/)。
まぁ、セリカもフェアレディZもみんな大型化され、まさかイタリアンスーパーカーまで不格好になるとはねぇ…
カッコ良かったと思った5マイルバンパー装着車はポルシェ(930系)だけだったし、今でも歴代ポルシェの中でも一番好きだ。
国産車はフルモデルチェンジの時期を迎えた。
フェアレディZはS30からS130へ。
このモデルチェンジに抵抗を覚える事は無かったが、スカイラインとセリカには肩を落とした。
スカイラインはジャパンになって大好きなケンメリが終了。
そのジャパン、出たばかりの頃は「なんだこれぇ…」と悲しくなった。
もっともさすがスカイライン、あとからジワる事になるのだが…
セリカも2代目になって何だか丸っこくなってモッサリしてるし…
スカイラインに喧嘩売るし…💦
サバンナRX-7は驚いた。
確かにカッコ良かったけれどポルシェ924を手本にしていた事は少年時代でもわかった。
輸入車もアメ車全盛から欧州車へスイッチしていた頃。
あの大好きだった初代ビートルからゴルフへ。
ゴルフの素晴らしさはまだまだわからず、「何色のビートルを見たら〇〇だ!」の都市伝説を返せくらいに思ってた。
モータースポーツも肩を落とした。
ポルシェ935も78になってあの大好きだったマルティーニカラーが好みと違う方向に改められたし、ルマンもポルシェからルノーの時代。
F1も大好きだったJPSロータスはマルティーニカラーになったと同時に低迷。
期待の80は大失敗作。
大好きだったあの時代の主役級、マクラーレンもフェラーリもタイレルも上位から名を消し、ブラバム、リジェ、ウィリアムズが名を連ねていた。
ただラリーでは国産車が世界で大活躍。
それは嬉しい出来事ではあったけれど…
国内モータースポーツは国産ワークスはすっかり姿を消し、代わって人気となったのはGC、F2。
あとは小型ツーリングカーによるレースか。
そんなワケでオイラが力が抜けた70年代後半から80年代初頭。
再びワクワクするのは、国産市販車ターボパワーウォーズ、モータースポーツ国産ワークス活動再開、世界戦挑戦まで待たなければならなかった。
今回のログはそんな切なかった頃のNジャン少年のお話。

Posted at 2025/05/20 22:03:44 | |
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記憶のクルマ達 | 日記