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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2011年03月22日 イイね!

Nジャン的ブログ Vol.1 

Nジャン的ブログ Vol.1 ~心境~

公式サイトや公式ブログ見ていると、ビジネスであるが為に書かれる内容が制限される。
万人向けでなければならないから。

ボクらは一般人だから常識の範囲内(個人判断)で少し広げて書くことができるけれど。

例えば日産応援団でもブロガーが増えた。
そう考えると、Nジャンなんぞ、もう「御役御免」でもイイじゃんかとか思った時期がある。
日産応援団ネタを書くとき、まず現場の様子をレポートすることが基本だと思っていたし。
もっとも、行ける機会が少ないのが残念で、伝えることができないのではないかと考えていたから。

日産ブログネタ、書き始めの頃は確かに反応される方も多かった。
最近はコメント件数も減ってきたどころか0件も多い。
「もう書く意味は無いのかもしれない」とさえ考えた事もある。

ところが「数字なんて関係ない」「どうでもいい」と全く気にしていなかったPVレポート(アクセス件数)。
書き始め当初、300くらいアクセスあって大喜びだったしコメント件数も数件あった。
で、最近は2000越えることも珍しくなくなってきた。
PVレポートとコメント件数ってのは必ずしも比例しないことを再認識。
これで「やめる」なんて書くと何言われるかわからない気がして(笑)。

肩書きなど何も無い一般人。
どこまでやれるのかわからないけれど、これからもやってみようと思う。

Posted at 2011/03/22 09:41:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | コラム | 日記
2010年06月09日 イイね!

その時、ボクは… ~GT-Rとロータリーと~  [後編]

その時、ボクは… ~GT-Rとロータリーと~  [後編] 現実を知る時にはシビアな面もある。

ツーリングカーレース王者、日産・スカイラインGT-R。
高橋国光、長谷見昌弘、黒沢元治、北野元などを筆頭に日産のスーパースター達がGT-Rを駆っていた。
挑戦者、マツダ・ファミリア・ロータリークーペ、マツダ・カペラ・ロータリークーペ。
片山義美、縦野孝司、寺田陽次郎、岡本安弘らが果敢にGT-Rに対抗していた。

富士スピードウェイの30度バンクを駆け抜けるGT-Rとロータリーに心を奪われる。

メカニズムが優れたGT-R。特にコーナーでは右に出る物はいなかった。
軽量コンパクト、高回転のロータリーエンジンを搭載するマツダロータリー軍団。
ストレートスピードではマツダにアドバンテージがあった。
そしてGT-Rの連勝を阻止したのは寺田陽次郎が駆るカペラ・ロータリー・クーペ。
かつて我が家にあったカペラ・ロータリークーペに何を思えばいいのだろうか。
我が家のカペラには思い出がいっぱい詰まっていた。

マツダは打倒GT-Rに手を休めない。
ニューマシン、サバンナGT(RX-3)を導入。
サバンナは段々とGT-Rを圧倒。
そして最後には…

1990年春。
Nジャン 23歳(当時)。
サーキットにスカイラインGT-Rが帰ってくる。
あの長谷見昌弘がハコスカ以来のGT-Rドライブ。
そして…星野一義が青いスカイラインGT-Rのステアリングを握った。

「こんな事があっていいのか…」

少年時代の夢のひとつが具体化した。

更に、1992年春。
Nジャン 26歳(当時)。
今度は高橋国光とGT-Rのコンビネーションが復活。
いてもたってもいられなかった。

N1耐久ではGT-RにRX-7が挑んでいた。

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星野一義さんはNジャンに、Nジャンの地元、静岡県藤枝市について語ってくれた。
ラーメン屋の話です(笑)。

寺田陽次郎さんに偶然お会いできた。
恐る恐る声をかけると優しい笑顔でマネージャーさんにシャッターを押すように指示をしてくれた。

高橋国光さんはとてもじゃないけれど恐れ多くて近寄れない(笑)。

長谷見昌弘さんは、まだ幼かったウチの娘の手を握ってくれた。

黒澤元治さんは静岡のイベントで見かけたので写真をお願いすると快く対応してくれた。
黒澤さんだということを周りは誰も気付かなかった。



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GT-Rとロータリー。
何故かモータースポーツの世界だけではなく自分にも関係している。

以前、黒澤日産応援団長に原稿をお願いした時、彼もかつてマツダ車に関係していた事を知った。
あまりにも愉快だった。

たった一度だけ若い頃に、度が過ぎる程調子に乗った人間(知人)対してに怒りをぶつけた事がある。
「(GTーR乗っていながら何も知らない)オマエに何がわかるんだ!」
しかし、今じゃ後悔してるし恥ずかしくて言えない。
人の事言えないだろ?ってネ。

でもさ…

¨わがクルマ○カ人生に後悔なし¨

だネ。
Posted at 2010/06/09 00:08:06 | コメント(2) | トラックバック(0) | コラム | 日記
2010年06月08日 イイね!

その時、ボクは… ~GT-Rとロータリーと~  [前編]

その時、ボクは… ~GT-Rとロータリーと~  [前編]※前にも書かせて頂いた内容と一部重なりますがご了承ください。

☆ドライバー名並びに関係者名は演出のため一部敬称略とさせていただきます。


1974年、秋。
Nジャン、小学校1年生。7歳(当時)。
我が家に初めてマイカーがやってきた。
そのクルマは、父親は勤務先の知人から譲り受けたクルマだった。

マツダ・カペラ・ロータリークーペ。
http://www.geocities.co.jp/MotorCity-Race/1961/re-04.jpg

親父は何も知らずに購入。
このクルマがどういうクルマなのかも知らずに…

男の子がメカに興味を持つ。
よくある話だ。
これを機会に自分もクルマに興味を持ち始めた。

1975年、夏。
Nジャン、小学校2年生。8歳(当時)。
従兄弟が遊びに来て「プラモデル」を作ろうということになった。
良く見かけるというだけの理由で「日産・スカイライン(ケンメリ)2000GT-X 《日本模型(ニチモ)製》」を作った。
初めて作ったプラモデル。
もちろん、ロクな出来ではなかったが、机の上のスカイラインはいつしか宝物になった。

その後、プラモデル作りが面白くなって行った。
駄菓子屋を営む祖母が問屋さんからNジャンのためにプラモデルを貰った。
偶然だったが、これも「日産・スカイライン(ケンメリ)」。
ただ、何やらちょっと違う。
それは「日産・スカイライン(ケンメリ)2000GT-R 《ナガノ模型製》」。

季節は秋になった。

「GT-R?何?それ?」
当時の雑誌にもカタログにも書かれていない謎のクルマ。
好奇心旺盛のNジャン少年。
あの頃のボクはGT-Rという謎のクルマを知りたくなっていた。

親父はスカイラインを特集していた雑誌を買ってきた。
そこで、GT-Rというクルマの謎が全部解けた。
生産中止を知った時にはショックを隠しきれなかった。
GT-R(ハコスカ)の連勝を阻止された事も知った。

我が家の愛車は日産チェリーF-Ⅱになった。
販売店からチェリー店のスポンサーが書かれているレースカーのポスターを貰った。
ドライバーのプロフィールに「星野一義 静岡市出身」と書かれてあった(当時、新人)。

それからというもの、GT-Rと星野一義に夢中。
スカGの有名な50勝伝説。
悲運のケンメリGT-R。
青いケンメリGT-Rと高橋国光とのショット画像。


※画像提供:フォトヤマさん

「このGT-Rがレースで勝ち進んでいたら。」
「GT-Rは無くなってしまうのか。GT-Rをまた売ってほしい。」
「星野一義に青いレーシングGT-Rを乗って欲しい」
様々な思いが過ぎっていた。
そう。
それから十数年後に実現するとは思いもしなかった。

=つづく=
Posted at 2010/06/08 23:06:49 | コメント(1) | トラックバック(0) | コラム | 日記
2009年11月30日 イイね!

♪ 上から読んでも下から読んでも…

♪ 上から読んでも下から読んでも…世界同時不況と呼ばれて一年が経った。
今現在も相変わらず不景気だと思う。
不景気の底が見えたという企業もあるけれど、それを実感できてないオイラは、「ホントですかぁ?」と思ってしまう。

「百年に一度」「史上最大」と、マスコミが書きまくっていたのも記憶に新しい。
不安になった方も多いと思う。

自動車産業も厳しい現実に直面している。
無敵と言われたトヨタ自動車でさえ赤字を経験した。

しかしながら、ご年配の先輩方は、この不況に対し比較的冷静だ。
彼らが言うには、「そんな事は何度もあったよ。珍しい事じゃない。」と。
「なるべくしてなった。」とさえ身の周りに言う人が居た。

数年前、Nジャン家はマイホームを建築した。
もちろんローン返済でだ。
建築後、あの時の営業マンさんは、こう言っていた。

「Nジャンさん、いい時に建てましたね。ちょっと遅かったら、資材が高騰してしてましたよ。今、この価格は出来ませんよ。」と。
あの時は石油や鋼材、木材など価格が急上昇していた。

世の中の情勢について営業マンさんは口を開けた。
「世の中、景気が上がった(当時)とか言ってますでしょ? 史上最高の利益を得たという企業もあるようなんですが、ボクはちょっと怖く感じますね。株価の動きがバブルの頃に似ているんですよ。」
その話を聞いていると近い将来、大不況の恐れがあると感じずにはいられなかった。

まさかそれが的中するなんて…
しかも日本国内ではなく世界的にバブルが崩壊したかのように。

企業は、予算の大幅縮小。期間工や派遣社員も大幅にリストラが敢行された。

ご存知の通り、今年、政権交代が行われた。
しかし民主党は、まだ荒波を超えていない。
今現在は、国家予算縮小が話題だ。
予算捻出が何の世界でも真っ先に行われる事を知った。

だが、この不景気に危機感を感じていない人間も多い。
企業も操業停止に追い込まれることもあったが「休める」とばかりに喜んでいる人もいた。

蓮舫議員じゃないけれど、「笑って終わる話では、ない。」って感じ…

♪上から読んでも 下から読んでも
 ¨ヨノナカバカナノヨ¨

[1978] 世迷言:中島みゆき
Posted at 2009/11/30 22:02:38 | コメント(1) | トラックバック(0) | コラム | 日記
2009年11月26日 イイね!

フォトグラフの凄さ

フォトグラフの凄さNジャンには、写真撮影作品を提供して頂いているフォトグラファーが主に2名いらっしゃる。
日産応援団では、フォトヤマさんが。
みんカラでは、ぐっさん@三重さん が。

本当に恐れ入る。
その作品があまりにも見事だから。

何を隠そうNジャンだって、自分でも写真撮影を試みた事がある。
立派なカメラを借りて撮影したものだ。
どころがその作品を見て落ち込んだ。
写真なんてそう簡単な世界じゃない。
フォトヤマさんの作品、ぐっさん@三重さんの作品を見て毎回毎回関心させて頂いている。
もちろん彼等だけではなく、画像提供して下さる方の作品だってホント驚かされるのである。

Nジャンも音楽をやるけれど、ちょっと写真撮影と似ているところがあって、試行錯誤を繰り返し作品になるのである。

自分も経験しているが、Nジャンの弾く音楽を聴いて「そんな事くらいオレにも出来そうだ。」と言ってた人は、その後、口を開かなくなった。
そう簡単に出来てもらったら、Nジャンだって困る。
何度も練習して今があるのだから。

写真撮影も同じだろう。
「あんなのオレだって撮影できるよ。」と経験も殆ど無いのに豪語するアナタは要注意。
やってみたらわかるさ。

ただ、究極の撮影となるとプロには叶わない。
そのプロも、ほんの一握りしかなれないのだ。
その道は険しい。
それが出来たら、既にプロになってるだろう。

アマチュアなりに頑張ってきた作品なんだよね。
面白いことに、フォトヤマさんの作品とぐっさん@三重さんの作品とセンスというか、個性が違うんだよね。


【Nジャンの格言】

「あんなのオレにでも出来る。」と思う前に、やってみな。


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[フォトヤマさん編]










[ぐっさん@三重さん編]







Posted at 2009/11/26 22:04:01 | コメント(3) | トラックバック(0) | コラム | 日記

プロフィール

「どれも同じようなー、と思いますが… それ何ですか? http://cvw.jp/b/116827/48805484/
何シテル?   12/07 10:21
「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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