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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2013年06月08日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #19

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #19※演出のため、敬称略にて失礼致します。

☆画像提供:フォトヤマさん

前年、リーマンショックが巻き起こり世界中がパニックに陥った。
我が国でも例外ではなく、自動車メーカーも対応に追われる。
この年、真っ先に世界を戦うモータースポーツから手を引いた事はファンにはとても寂しい出来事だった。
国内モータースポーツも厳しい向かい風が吹いていた。

しかし、そんな中。
FIA-GTに日産がGT-Rで挑戦。
ミハエル・クルム氏らが乗り込む。

2009年、決起集会。
この年も横浜市内で行われた。
なんと嬉しい事にドライバーさんもサプライズで登場する。
楽しいゲームや立食パーティーなど盛りだくさんだった。







日産応援団内でハセミモータースポーツとMOLAの応援旗を自主制作で用意しようという事になった。
デザインは応援団内で練り上げ、ネットで一般公開し投票してもらって決めようという手順。
こうして2つの旗が準備された。

ハセミモータースポーツ代表の長谷見昌弘氏は大いに喜び、MOLAの関係者さんは「こんなに小さいチームなのに」と目を潤ませてくれたという。





SuperGT開幕戦、岡山。
天気は雨。
この雨があのチームにとっては恵みの雨となった。
タイヤが見事にマッチ(シャレ?)し、他を圧倒していたのだ。



第2戦、鈴鹿。
レースの難しさを知る。



第3戦、富士。
日産応援団、十八番の富士での優勝の喜びは大きなモノだった。
応援席は大いに盛り上がった。



続く第4戦も快進撃が続く。



第5戦。
「SUGOでNISSAN勢は勝てない」
「勝った事はあるがGT300でそれも随分前」
そんな事が言われていた。

「地元SUGOでNISSANが勝つところが見たいんです!ジンクスを打ち破りましょう!」
くま2315はいつも語っていた。

一滴の雫が伝った。




第6戦、劇的な終盤。
GT300、#46 S-Road MOLA Zが大逆転勝利。
少年(当時)だった、「なおーきー」が大泣きした。



第7戦、富士。
私設応援団共同企画、記念撮影会。
この時、サプライズで脇阪選手、加藤富士スピードウェイ社長(当時)、GTAの坂東社長。
HONDA、LEXUS、NISSAN系ワークスチームの上席の方々、nismoの眞田社長(当時)らが参加。
撮影は我らがフォトヤマ・カメラマンとNISMO契約カメラマン、小宮岩男氏。



この年も日産勢の快進撃が進むかに思われた。
だが、ノーポイントのレースが何度かあった。
コンスタントにライバルチームがポイントを重ねてきていた。

日産チーム。
この年、チャンピオンを逃してしまった。

ニスモフェスティバル前日。
日産応援団は忘年会。
もちろん運転者の飲酒は御法度。
サプライズで選手が登場してくれた。



ニスモフェスティバル当日。
一年の締めくくりに日産応援団も気合が入る。

日産応援団史上最大本数、46本
すべての応援旗が出揃った!!
旗手が足りずお客さんに旗手を要請。
46本全て旗手が揃った。



メッセージボードの配布。
これまたお客さんが積極的に協力してくれたのだった。

日産コールが炸裂。
2009年シーズンが終わった。



~つづく~

Posted at 2013/06/08 17:12:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記
2013年06月07日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #18

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #18《第四章 前へ。日産応援団!》

※演出のため、敬称略にて失礼致します。

☆画像提供:フォトヤマさん

2008年、SuperGT。
日産は、遂にモータースポーツフィールドでGT-Rが復活。
GT500のタイトル奪取が使命だった。



開幕戦、鈴鹿。
(株)オーテックから応援旗を提供(レンタル)。


私設応援団同士、ライバルでありながらも互いに信頼を寄せる。
鈴鹿サーキットではレクサス・日産・ホンダ(順不同)の応援団が応援場所を共にすることにより、応援合戦が激化した。

日産応援団はメッセージボードを企画。
新たなる応援スタイルを提案した。



 
サーキットアナウンサーさんも応援していた♪

レースは見事にGT-Rの1-2フィニッシュ達成。
このシーズン、GT-R旋風の幕開けとなった。

第2戦ではGT500、GT-Rの2連勝達成。
GT300のフェアレディZも頭角を露にしてくる。

ところがこのシーズン、特別性能調整という措置が置かれた。
言わば「一人勝ち防止」というべきか。



日産応援団内でKONDO RACING応援旗の製作する事になった。
第3戦、富士スピードウェイでお披露目となった。

ところがレースでは特別性能調整の影響もあってGT-R本来のパフォーマンスが封印されてしまう。
それでも日産応援団は諦めなかったのだが…



6月14日(土)午前8時43分。
岩手・宮城内陸地震発生した。
菅生戦を踏まえ、東北にエールを送る。
関西寿一會も賛同。
阪神淡路大震災を経験している彼らであった。
まさかその3年後に全国を揺るがすあの出来事が起こるとは知らずに…



第4戦、第5戦とシーズンは進んでいく。





最終戦、富士。
必勝体制でチームが臨む。
日産応援団も必勝体制だ。
チャンピオンが欲しい。

レースは途中、雨が降り出すなど難しいコンディションとなった。
イケメン君こと田上裕規は全身を震わせていた。
日産応援団、勝利を祈っていた。

レースはゴールを迎えた。
GT500、優勝は#12 カルソニックIMPUL GT-R。
シリーズチャンピオンは#23 XANAVI NISMO GT-Rに輝き、念願のタイトル奪回となった。
GT300も#46 MOLA レオパレス Zがタイトルを手にする。

日産応援団、歓喜に沸く。

ニスモフェスティバル。
前日、日産応援団が集まりメッセージボードを製作。
当日のグランドフィナーレでお客さんと共に選手や関係者へのサプライズとして企画していた。

その当日、なんとカルロス・ゴーン氏がサプライズで登場。
日産応援団も驚いた。



グランドフィナーレ。
メッセージボードのサプライズは見事に成功。
フェンス向こうのステージの皆さんを驚かせた。

~つづく~
Posted at 2013/06/07 21:01:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記
2013年06月07日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) ~なかがき 4~

 We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) ~なかがき 4~ ※画像提供:フォトヤマさん

この「We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー)」を書いて思う事は、改めて回想して頂けたり、新たに知って頂いた方々がいらっしゃると思いたい。

応援団とは違い、普段の日常生活で接している方々にとっては意外なオイラを知ったという。
Facebookにリンクしているから友人・知人にも発信することにもなったし、実はご近所さんにも「みんカラ」ユーザーがいらっしゃった(笑)。

別に隠していたワケじゃない。
わざわざ宣伝する必用が無いと判断していただけの事。

誰でも意外な一面を持っているモノかもしれないネ。

さぁ、いよいよ日産応援団ストーリーも現在に近づいてきた。

「Nジャンさんしか書ける人がいないんです。」
黒澤団長はじめ、日産応援団の皆さんからのお言葉。
最初はお世辞だと思っていた。
ところが本気で言ってくれた言葉だったと気付いたのはいつだっけナァ…



¨この物語は、オレが書くんだ。¨

Posted at 2013/06/07 17:53:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記
2013年06月06日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #17

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #17※演出のため、敬称略にて失礼致します。

2007年シーズン。
恒例となった横浜での日産応援団決起集会を皮切りに日産応援団のシーズンが始まった。

眞田裕一NISMO社長(当時)は、この年のマシンに「直線番長」というテーマで取り組んだ事を語った。
フェアレディZにV8エンジンを搭載しこのシーズンを戦う。

日産応援旗は前にも書いたが、NISMOからのレンタルである。
ところが、自前でオリジナルの応援旗を準備する仲間が現れた。

開幕戦鈴鹿戦。
ライバル応援団である関西寿一會の谷角氏がNジャンを訪ねてくれた。
既に黒澤日産応援団長とはコミュニケーションを行っていたが、Nジャンとは初めてだった。
聞けば関西寿一會を記事にしてくれたことが嬉しかったのだという。
特に前年のTOM’Sのチャンピオン獲得の際、関西寿一會への祝福をブログに書いた事が心底嬉しかったのだという。
現在でも日産応援団と関西寿一會とのコミュニケーションが続いている。

そしてこの年、鈴鹿に日産応援団ニューキャラクターが彗星のごとく現れる。
彼の名は「煮相撲 君」。
今で言う「癒し系 ゆるキャラ」であろう。





レースは開幕戦から波乱の展開。
まさかのファイナルラップはドラマチックとしか言いようがなかった。

Nジャン。
よりリアルにレポートを書きたいと思った。
画像が欲しかった。
自分にはウデも機材も持っていなかった。
名乗りを上げた男がいた。
それがフォトヤマだった。
作品を見たNジャン。
ド肝を抜かれた。
後にフォトヤマは日産応援団きっての名カメラマンと認知されるようになった。




※画像提供:フォトヤマさん

第2戦、岡山戦。
岡山にも日産応援団が登場。
新たな仲間も加わった。
しかしレースではライバルチームが他を圧倒。
そのまま勝利を手にしてしまう。

数日後、私設応援団共同企画「ウェーブ」が企画された。
実は当初、レクサス応援団と日産応援団とのコラボであった。
Nジャン、お誘いもあってmixiに参加。
その際、ホンダ応援団(私設)の代表である「ぱこぱこ」さんから申し入れがあった。
その件を黒澤日産応援団長に伝えるとすぐさまアクションをとった。
遂にレクサス・日産・ホンダ(順不同)の応援団が繋がったのである。

第3戦、富士戦。
日産応援団に「青組」こと「カルソニック IMPUL 応援団」が登場。
スポンサー系応援団とのコラボによりカラフルな応援席が出来上がった。


※画像提供:フォトヤマさん

日産応援団に(株)オーテックジャパンの「すて☆るび夫」氏が登場。
旗振りにチャレンジするとマイケル(ミハエル・クルム選手)がトップに立った。

レースはNISMOの1-2フィニッシュ。
歓喜に沸いた。

この事をレポートに書いたNジャン。
日産応援団内でも話題になったと聞いた。


※画像提供:フォトヤマさん

Y32に頼んでNジャンの旗とポールを友達登録者に各サーキットで振ってもらおうとリレーを開始。
菅生戦では「くま2315」が、もてぎ戦では「しろー」が振ってくれた。
くま2315は、その感触が忘れられず、自前でポールを準備。
遂に日産応援団でも本格的にデビュー。
もてぎ戦では、ヘアピンで旗を掲げ、ウィニングラップではライバルを含む全車がパッシングで応えてくれたというエピソードもある。

第8戦、オートポリス。
最終戦を待たずしてライバルチームがドライバーズチャンピオン確定。
望みはチームチャンピオンだが…

最終戦、富士。
しかし…

ニスモフェスティバル。
既に日産は翌年のSuperGTにGT-Rで挑戦することを発表。
そのマシンがファンの目の前に現れた。


※画像提供:フォトヤマさん

その際…
日産応援団からのサプライズが…
当日早朝から字幕の製作に入っていたのだった。







※画像提供:フォトヤマさん

翌年、チャンピオン奪回を再び誓った。

~つづく~
Posted at 2013/06/06 20:36:54 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記
2013年06月05日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #16

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #16※演出のため、敬称略にて失礼致します。

SuperGT 2006年。
GT500、トヨタチームはトヨタ・スープラからレクサス・SC430へ。
伝統の鈴鹿1000kmレースがSuperGTシリーズに組み込まれるなど話題が豊富のシーズン。

3月、日産応援団は決起集会という名称でミーティングを横浜で開催。
イベント終了後、日産応援団の若者達は居酒屋に集った。
「レースが終わったら、応援席のゴミ拾いをしよう!」
立派な提案だった。
日産応援団クリーン作戦の素となった。

開幕戦は鈴鹿サーキット。
いきなりGT500 #36 OPEN INTERFACE TOM'S SC430がパフォーマンスを見せ、他を圧倒する。
SC430旋風吹き荒れるシーズン。

第2戦、岡山国際サーキット。
「日産応援団がいないからボクが応援するんだ!」
前年の富士戦で観戦し、知り合った少年が一人で応援していた。
この件をキッカケにキッズ応援団が誕生する(注:1)
注1:今現在は事実上自然解散。とはいえキッズの皆さんは積極的に応援に参加してくれています。

日産応援団の情報発信。
黒澤団長からNジャンへ本格的に広報活動を依頼。
厳しい事もあったがスタイルが出来上がる。
それがあってか新しい仲間を呼んだり、応援活動が具体的にアピールできるようになった。

第3戦、富士スピードウェイ。

日産応援団ではメンバーの本職が生きる。
お客さんへの企画がある時は、看護婦さんが上手にガイドする。
店員さんの呼びかけ。
PCに携わる方はアート作りなど…

スターティンググリッド。
このエピソードが有名となった。
日産応援団の前に#36 TOM'Sのマシン。
日産応援席から脇阪寿一選手へ場を和ませるユニークなヤジが飛んだ。
応える寿一選手。
それが日産応援席から寿一コール、ロッテラーコールの大声援が起きた。
脇阪夫人が「信じられない光景」と感動し頭を下げてくれたという。

第6戦 鈴鹿サーキット。
真夏の鈴鹿1000kmは日産応援団初の本格的な耐久レース。
「いつものレースの3倍」「GW富士の2倍」という声もあったが「ルマンの1/3」という声もあった。

この時、Nジャンが黒澤へ「円陣を組んで気合を入れよう」と提案した。
それが現在も行われている「気合入れ」だ。
後に、お客さんも一緒にやらせて欲しいという事になった。
それだけ大事な事になるとは…
Nジャン、自信に繋がった。





日産応援団にとって初のナイトセッション。
レースはGT500、#12 カルソニック インパル Z、#22 MOTUL AUTECH Zの1-2フィニッシュ達成。
日産応援団、歓喜に沸いた。
目頭を潤ませた仲間も居た。

第7戦 ツインリンクもてぎ。
関係者さんの御協力により日産応援席での応援となった。
この時、(株)オーテックの関係者さんと日産応援団のコミュニケーションが実現した。
すて☆るび夫さん、覚えてます(笑)?

そしてこの第7戦よりカルソニック応援旗が登場(レンタル)した。



第8戦 オートポリス。
日産応援団の一部の仲間の手で初の九州上陸。
現地に行くことができない日産応援団メンバーがフォロー。
TVカメラは堂々と応援旗と旗手達を映し出した。

GT500、#23 XANAVI NISMO Zが見事に優勝。
黒澤団長は嬉しさ爆発。
たまらずメンバーに電話したというエピソードがある。

最終戦、富士スピードウェイ。
GT500、#24 WOODONE ADVAN KONDO Zが3位に入賞するものの、ライバル達が強かった。

GT500は#36 OPEN INTERFACE TOM'S SC430が、GT300は#7 雨宮アスパラドリンクRX7がチャンピオンを決めた。

日産応援団、またも悔しさを握り締めた。

ニスモフェスティバル。
前年の雪辱を晴らすべく日産応援団も気合が入った。

日産応援団、結成10周年。
通行のお客さんにはサプライズでお誘い。
記念撮影を行った。



撮影終了後、更にサプライズは続く。
知らぬは黒澤団長だけ(笑)。
日産応援団による団長の胴上げを行った。

グランドフィナーレでは、観客の皆さん、眞田裕一NISMO社長(当時)とともにチャンピオン奪回を目指す事を誓った。

~つづく~
Posted at 2013/06/05 22:41:12 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記

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「【NISSAN】そのご意見… http://cvw.jp/b/116827/48483762/
何シテル?   06/13 19:25
「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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