
~日産とプリンスの合併~
第3回日本グランプリは、新設された富士スピードウェイで行われる事になった。プリンスは前回の敗北を踏まえプロトタイプ(レース専用ですね)マシン「プリンスR380」を開発する事となった。
そこへ「プリンス自動車工業」に衝撃が走った。日産自動車との吸収合併であった。翌年、「日産自動車」になると言われた。
政府は輸入自由化などを理由に日本の自動車メーカーの企業合併を行う方針を発表した。
プリンスは日産と。日野はトヨタと。合併が発表された。
ブリヂストン会長の石橋正二郎氏は、出資していたプリンスに対して、本業に専念する為プリンスは日産へ受け渡したのであった。
日産自動車になったらプリンスの従業員はどうなるのかわからない。
プリンスの従業員は不安を隠しきれなかった。
最後のプリンスの挑戦。技術者は奮い立った。R380の開発に力をあわせた。総力を挙げて試行錯誤の中R380は完成。
しかし、敵は眠っていなかった。最新レーシングカー、ポルシェカレラ6が第3回日本グランプリにエントリーしたのだ。
第3回日本グランプリ。スタートからポルシェとR380がトップ争いをした。給油装置に工夫を凝らしたプリンス。焦ったポルシェはコースアウト。遂にプリンスは王座に輝いた。プリンス自動車工業最後のレースだった。
遂に日産とプリンスが合併された。
日産自動車から依頼が来た。「技術を教えて欲しい。」
中川一郎氏は日産の役員に。櫻井真一郎氏をはじめ技術スタッフも、ほとんどプリンスのままのポストについた。
「プリンス スカイライン」は、「日産 スカイライン」になった。
※R380についての詳細は、タイトルが「スカG」なので省きました。R380もエピソードが沢山ありますが、ご了承ください。
Posted at 2005/02/23 22:28:02 | |
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