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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2005年02月25日 イイね!

スカG伝説 その14

スカG伝説 その14~初の電子制御エンジン~

マイナーチェンジを受けると、従来の機械式燃料噴射装置「キャブレター」に加えて電子制御燃料噴射装置「インジェクション」を搭載したモデルがラインナップを増やした。
電子制御により従来のメンテナンス調整を省く事ができ、状況に応じて仕事をさせようとする効果があった。

GT-R亡きあと最上級モデルGT-XE・Sにレッドエンブレムが与えられた。

市場ではケンメリ人気に陰りが全く見られなかった。
次期モデル登場まで歴代スカイライン最高の約70万台のセールスだった。この記録は今でも破られていない(現在は当時の下級モデルにあたるプリメーラ、ブルーバードなどがあります)。
Posted at 2005/02/25 21:32:16 | コメント(3) | トラックバック(1) | クルマ | 日記
2005年02月25日 イイね!

スカG伝説 その14

スカG伝説 その14~197台のレッドエンブレム~

KPGC110。ケンメリ型スカイライン2000GT-Rが登場した。
人々は興味を持った。サバンナに対抗できる要素に興味があった。

しかし…従来のS20型エンジンが採用され、外観が一部違う事を除けば新スペックに陰りが見えていた。
一説によれば「在庫のS20型エンジンを搭載した」とも言われる。

石油ショックの煽りを受け昭和50年排気ガス規定にS20型エンジンは対応出来なかった事もあり、たった197台で生産が打ち切られた。
その内2台はレース試作車だったとも言われる。
Posted at 2005/02/25 21:11:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ | 日記
2005年02月25日 イイね!

スカG伝説 その13

スカG伝説 その13~幻のレーシング~

東京モーターショーに一台のレーシングマシンが展示された。
タイトルには「スカイライン レーシング」と書かれていた。

決してGT-Rとは書かれていなかった。しかし誰が見てもGT-Rである事は明らかだった。

まだケンメリGT-Rの市販モデル発表されていなかったので誰もがGT-Rを確信したのだった。

人々は、ケンメリGT-RとサバンナGTのバトルを想像していた。
このショーモデルのスペックは公表されていなかった。
全く新しいエンジンか?それとも従来のS20型エンジンか?
スカGファンは嬉しい予感に心弾ませた。

営業サイドからクレームが出た。
「先代に比べ車体が大きくなり、重くなった。こんなんじゃ、レースに勝てない。」
「石油ショックからしてレースどころじゃない」という風潮もあった。

結局このレーシングモデルはサーキットに姿を現すことは無かった。
ポスターに高橋国光選手が映っていた。



Posted at 2005/02/25 20:56:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ | 日記
2005年02月25日 イイね!

スカG伝説 その12

スカG伝説 その12~ケンとメリー~

4代目スカイラインが登場した。初めて、企画から販売までの全てを日産自動車として登場させた。

「ケンとメリー」のスカイラインだった。通称ケンメリ。「愛のスカイライン」をそのまま追従し、「ケンとメリー」と具体的に表現した。

CMから爆発的人気に火をつけ、「ken & Merry」のTシャツは売れに売れ、他メーカーのクルマにもステッカーが貼られるような現象が起きた。日産の本命、ブルーバードの販売をも上回る人気ぶりだった。

このクルマの主管は、やはり櫻井真一郎氏だった。
販売サイドから「ウチの販売網では車種が乏しい。売れるクルマが欲しい」と依頼があった。
櫻井氏は、やむなく販売を重視したクルマを考案したのだった。後に櫻井氏はこう語った。
「私はケンメリが好きではありません。スカイラインは作品重視であり、商品重視ではないと思うのです。」
産みの親の心情と販売台数が非対称だから櫻井氏にとっては皮肉な結果となった。

クルマはセダン、ワゴン、ハードトップの相変わらず3種類のボディ。
2000、1800、1600と3種のエンジン。先代の1500 C C モデルは100C C アップされた。

特にハードトップでは当時アメリカ車が流行していた、いわゆる「コークボトルライン」が採用され一見、ハッチバックを思わせるスタイルだった。
Posted at 2005/02/25 20:43:25 | コメント(1) | トラックバック(0) | クルマ | 日記
2005年02月25日 イイね!

スカG伝説 その11

スカG伝説 その11~50勝達成とGT-Rが負ける日~

72年「72富士グランドチャンピオンシリーズ」。ゼッケン15高橋国光選手のスカイラインハードトップ2000GT-Rがポールポジションを獲得。
 しかし、翌日の決勝は、大荒れの暴風雨。スタートが遅らせられ、20周レースも15周に短縮。コースは水たまりと川となった。最悪のコンディションとなった。
 その中を2000GT-Rの高橋国光選手、都平健二選手がスタートから踊り出た。前車の水しぶきで前が見えない状況の中、サバンナ、カペラ、3台のマツダロータリーエンジン車はGT-Rを相手にならなかった。レース途中、短縮されたレースが更に12周へと変更。
 トップを走っていた都平健二選手は、コースアウトしてリタイヤしてしまう。高橋国光選手は12周を走りきり、全車周回遅れにしてしまう。サバンナは、3位がやっとだった。
 スカイラインGT-Rが50勝という大記録を達成した。

その後もプライベーター達の優勝がありカウントすれば54勝となる。

 「72年JAF・日本グランプリ」。サバンナは、12Aエンジンを積み、GT-Rに挑んだ。
 GT-Rは焦りからかコースアウトしてしまう。コレを機にKPGC10型スカイラインGT-Rはサーキットを後にした。

 サバンナに対抗する為には、次期型スカイラインGT-Rの登場が待たれた。
Posted at 2005/02/25 00:37:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ | 日記

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「【NISSAN】そのご意見… http://cvw.jp/b/116827/48483762/
何シテル?   06/13 19:25
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かつて所有していたスカイラインGTS-t TypeM。 初の新車購入でした。
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