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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2005年06月04日 イイね!

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その56

~衝撃的な現実~

1998年、JGTC富士。
その日は激しい雨になった。

前座レースでも雨の中クラッシュが続出。N-JUNKIEはもしかしたら中止になるかもしれないと予感がしていた。

GT決勝。
N-JUNKIEは第1コーナーのスタンド寄りでその光景を目の当たりにしようとしていた。
雨の中、ペースカー先導の元、ローリングが開始。
アナウンスがあった。
「回転灯が消えていません、もう1周です。」

目の前をペ-スカーが通過。
「あれ? こんなに速く走ってるぞ?」とN-JUNKIEは不思議に思った。
GT500が通過してGT300が通過しようとした時だった。

ドカーン!!!!

10m位に立ち上がるかと思う災が立ち上がった。
1台のクルマが災を上げた。
レスキューが誰も来ない。
大丈夫?????

マツモトキヨシRE雨宮RX-7の山路慎一がレースを捨ててマシンを止め消火器を持ち、燃え盛るマシンを消し止めた。
かなり遅れてレスキュー隊が登場。山路は怒りに震えてレスキューのクルマにケリを入れていた。

ドライバーは救出された。太田哲也だった。すぐさまヘリコプターで搬送された。
数時間後アナウンスがあった。
「命に別状は無い」だった。拍手がおこった。
しかし、生死を彷徨う瀕死の重傷だったと後になってわかってしまう。

レースは濃霧の為、中止になった。最後に出場車によるパレードが行われた。

マツモトキヨシRE雨宮RX-7の山路慎一が通過すると拍手が一段と大きくなった。
「よくやった!! 最高だったぞ!!!」後の観客の誰かがそう言った。

この事故は昨年、ドキュメンタリー映画「クラッシュ」として記録されている。
Posted at 2005/06/04 11:36:46 | コメント(2) | トラックバック(1) | N-JUNKIEのクルマ好き物語 | 日記
2005年06月04日 イイね!

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その55

~CLUB LE MANS~

日産がル・マンへGT-Rでチャレンジした。
もちろんモンスターマシン、マクラーレンF-1 GT-Rにその差を見せ付けられたが日産はル・マンに復帰。
そのあとR390GT-1でチャレンジした。

1997年、JGTC富士。
N-JUNKIEはニスモのブースへ行った。
パンフレットにあった「CLUB LE MANS」に目を止めた。
ニスモが主体となってファンクラブを発足させたのである。
色々な特典があった。中でも「ルマン24時間 観戦ツアー」に目がクギヅケになった。
中でもこのルマンに日産旗を掲げたサポーターがいた。
「これだ」N-JUNKIEは思った。参加したい・・・・

しかし・・・・特典やルマンツアーもN-JUNKIEにとって現実的ではなかった。入会を見送ってしまった。
Posted at 2005/06/04 11:16:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | N-JUNKIEのクルマ好き物語 | 日記
2005年06月04日 イイね!

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その54

~GT選手権~

1994年。GT選手権(JGTC)シリーズが始まった。
開催当初のマシンは試行錯誤で面白いマシンがいっぱいあった。

スカイラインGT-RはR32でGr.Aの改造車だったし、シルビアもレギュレーションに合わせた改造で面影がノーマル車に近かった。
スープラもシルビア同様だった。
フェアレディZにしても今のZみたいに迫力あるものでもなかった。
プライベートチームはフェラーリF40、ポルシェ・ターボなどコストを重視していた。
参加台数にしても今とは比べ物にもならなかった。

GT-RがR33にスイッチしたときレギュレーションが変わった。
4WDは100kgのウェイトを背負う。
GT-RはFRの2WDに改造された。

センセーションを巻き起こしたのは1996年。マクラーレンF-1GT-R。あまりにも速くて国産チームは歯が立たず翌年、事実上追い出される事になった。

N-JUNKIEは今現在まで2004年の閉鎖されていた時を除いてゴールデンウィークに組まれる富士スピードウェイに通っている。自慢じゃないけど皆勤賞である。
夏のシリーズは出来るだけ行くようにしていた。

忘れられないのは1995年の富士決戦。
圧倒的パフォーマンスを発揮するマシンに目を奪われた。
F-1帰りのドライバーのE・コマス(敬称略)が駆るトヨタ・セルモスープラ。
スタートするやいなや怒涛のプッシュ。他車を寄せ付けなかった。
あのスカイラインGT―RやフェラーリF40など相手にもならなかった。
瞬く間に殆どのクルマを周回遅れにした。
N-JUNKIEは彼の走りに感激した。
残念ながらトラブルでリタイヤしてしまったが今でも彼の走りはN-JUNKIEの記憶に刻まれた。
「コマス、日産に乗らないかな?」と思っていた。

1998年。N-JUNKIEは耳を疑った。E・コマスが日産へ移籍したのである。
Posted at 2005/06/04 11:07:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | N-JUNKIEのクルマ好き物語 | 日記

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「ユーズドカー2台購入となったワケとは… http://cvw.jp/b/116827/48649919/
何シテル?   09/11 23:02
「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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