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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2005年06月07日 イイね!

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その82

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その82~信じられない~

一通のメールが来た。
差出人は安達二郎氏だった。

「N-JUNKIEさんの熱い思いに答えたいと思います。ニスモフェスティバルでCABINカラーのF3000を星野で走らせます。N-JUNKIEさんが走らせたと思って結構です。星野の走り、しっかりとその目に焼き付けてください。」

N-JUNKIEは呆然だった。
少し時間が経った頃、「おかあちゃん!!大変だ!!!!」と言った。

安達さんからの心憎いプレゼントだった。
Posted at 2005/06/07 23:08:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | N-JUNKIEのクルマ好き物語 | 日記
2005年06月07日 イイね!

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その81

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その81~安達二郎さん~

GT第4戦、富士ラウンドをむかえようとしていた。
N-JUNKIEは例の如く夏の富士を見送ろうとしていた。

NISMOから日産応援団宛に一通の手紙が来た。
そこにも衝撃的なニュースがあった。
NISMO社長、安達二郎氏が社長を退任することになった。
かつて「CLUB LE MANS」というファンクラブを立ち上げレースに近い関係にしようとしてくれた安達二郎氏。

GT第4戦の予選終了後、日産応援団と食事会をしたいとの意向を現した。同時に日産応援旗が新しくなるためのセレモニーも同時に開催。

N-JUNKIEは予選を見た。大々的にやる決勝とは違っていた。
それでも女房Yはこう言った。「あたし、予選をはじめて見た。これはこれで楽しいよね。」

予選観戦後、御殿場の会場で関係者が集合。
安達二郎さんを取り囲み食事会。
そして日産旗の交換式。

N-JUNKIEにとってあのトリコロールカラーの日産旗には思い出がある。ルマン24時間、パレード、GT。
あの旗が関係者の手に入った時、寂しさを感じた。
しかし、新しい真っ赤な応援旗が次の時代を感じさせる。

日産応援団はそれぞれ面識が無かった。これを機会にコミュニケーションを図り、一段となった。

日産自動車、NISMOのモータースポーツ関係者がN-JUNKIE達と一緒に食事した。
N-JUNKIEは緊張してしまいノドに食事が通らない。
長女は平気で食べていた。

日産自動車モータースポーツ事業部Sさんがこう言った。
「2000年にルマンへ挑戦についてとC・ゴーンに言ったんです。『それでいくら利益が出るんですか?』と言われたんですよ。彼もモータースポーツが大好きなんですが、そう言ったんです。」

安達二郎さんと話をした。
サッカーの話、クルマの話、ドライバーの話。初めて面と向かってゆっくり話が出来た。
「N-JUNKIEさん、藤枝だけあってサッカー好きなんですね。」
「クルムは、カカア天下でアタマが公子さんに上がらないんですよ。」
「ボクね、VIPに見えるでしょ?愛車がシーマとかって。だけどね、ボクの愛車はマーチなんですよ(大爆笑)。」

飾らない安達二郎氏が大好きになった。
Posted at 2005/06/07 22:45:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | N-JUNKIEのクルマ好き物語 | 日記
2005年06月07日 イイね!

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その80

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その80~さらばスカイラインGT-R また逢う日まで~

2002年。スカイラインGT-Rは二度目の生産中止になった。
シルビアもスープラもRX-7も消滅した。

地球環境と低燃費時代。
新しい排気ガス規制に対応できない。
さらに対応するべくコスト回収にメドがつかないというのが理由だったらしい。

新しい時代を予感させていた日本の自動車業界。

もう二度とGT-Rを新車で購入出来なくなると勝手に思い込んだN-JUNKIEだった。

日産スカイラインGT-R封印。

N-JUNKIEにとって運命の瞬間のひとつだったのかもしれない。
Posted at 2005/06/07 22:25:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | N-JUNKIEのクルマ好き物語 | 日記
2005年06月07日 イイね!

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その79

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その79~いつかこの日がくると思っていた~

N-JUNKIIEは夫婦でスカパーのセパンのGT中継を見ていた。

猛暑がドライバー、マシンを襲う。
早めにピットへ入るカルソニックスカイラインの星野一義(敬称略)。
僚友田中哲也に交代。
早めにピットインの作戦なんだなと思ったN-JUNKIE。

マシンから降りた星野は倒れこみながら急いで交替。女房Yはこう言った。「もう、トシだよ~。」
N-JUNKIEは思った。
確かにトシだろうけど何かおかしいなあ。あんな星野さん見たこと無いなあ。

レースから数日後、衝撃的なニュースが飛び込んできた。
星野一義、引退。

持病のヘルニアに対応できなくなったという。
しかも、殆どの人間にコレを打ち明けなかった。

用意されていたV6のGT-Rに乗ることは無かった。

日本一速い男と呼ばれた星野一義はシーズンを終えた。
Posted at 2005/06/07 22:12:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | N-JUNKIEのクルマ好き物語 | 日記
2005年06月07日 イイね!

N-JUNKIEのクルマ好き物語 その78

~00年GT~

GTが開幕するとGT-Rは苦戦を強いられた。あの名機RB26DETTに陰りが見えてきたのだった。

スープラは直4、NSXは熟成のV6。ライバル達は戦闘力を上げていた。
古くからレーシングGT-Rを支えてきた直6エンジンが劣勢になってきたのだ。
直6エンジンの決定的欠点は重量だった。

かつてF-1で伝統のV12エンジンでその名を不動のモノにしたフェラーリ。ライバルチームは軽量V10エンジンでフェラーリを撃墜。
エンジンはただ走らせるだけのモノでないことを物語っていた。

それはGT-Rにも言えることだった。

日産応援団も富士に集結。弱くなってしまったGT-Rに何を語ろうか。

日産はGTマシンのスカイラインGT-RはV6エンジンに変更と発表した。
スカGファンの賛否両論の中、マレーシアのセパン戦を最後にRB26DETTは降ろされた。

幾多の栄光の光を浴びてきた日産の直列6気筒。遂に別れが来てしまった。
しかし・・・この後、GTから離れていったのはRB26DETT型エンジンだけではなかった。
Posted at 2005/06/07 21:19:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | N-JUNKIEのクルマ好き物語 | 日記

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「【NISSAN】そのご意見… http://cvw.jp/b/116827/48483762/
何シテル?   06/13 19:25
「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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かつて所有していたスカイラインGTS-t TypeM。 初の新車購入でした。
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