
~風の当たるマシン~
風の当たるマシンに乗りたい・・・・新人だった頃の星野の名言だ。
数々のタイトルを手に入れた星野。
まさに「日本一速い男」である。
1985年。翌年の86年にホンダはF-1に、日本人ドライバーをフル参戦させる計画を立てた。
候補に上がったのは星野と中嶋。
両者甲乙つけがたい実力だった。
女神が微笑んだのは中嶋だった。実力は中嶋に負けずとも劣らない星野。決定的だったのは年齢だった・・・・
その後、鈴木亜久里も片山右京も旅立って行った。
星野は餞別とばかりに旅立つ前に彼らに最終戦勝ってみせた。
そんな彼にもベネトンから日本GPにオファーがあった。
数百万円払えば乗せてやる。これが条件だった。
星野は断った。「金を貰うのがプロのドライバーだ。」彼のプライドだった。
そんな星野を見ていたNジャン。F-1に行けなかった星野がカッコよく見えた。
新カテゴリー、フォーミュラニッポンが開催されることとなった1996年。
チャンピオン候補の先頭に星野がいた。
NジャンはもちろんTVで観戦。
しかし・・・・
たった4周で星野はクラッチを壊してピットイン・・・
怒りに震えた星野はステアリングを投げ、マシンから降りるや否やヘルメットを地面に叩きつけた。
その後星野は大声を上げて泣いたという・・・
星野はまったくそのときのことを覚えていないという。
自分自身のコントロールが出来ていなかったらしい。
星野はこの年を最後に「風の当たるマシン」から降りてしまった。
星野は後にF-1ドライバーになるE・アーバイン、HH・フレンツェンと好勝負を広げたドライバーに感謝される。
「オマエはF-1に行け。こんなとこで勝負したってしょうがないだろ?」
97年、ルマンでR・パトレーゼに会った星野。パトレーゼは驚いていた。
「ホシノ!まだ乗っていたのか!」
Posted at 2005/09/26 21:50:41 | |
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