
99年ルマン24時間耐久レース。
日産応援団に入れてもらったきっかけでした。
その後、GTに活躍を移した日産応援団の中で私は
K団長よりこんなに嬉しい
メールをいただけるだなんて本当に幸せだと思っています。
日産応援団での集団行動、団結、人付き合いなど私が学んだ事が沢山ありすぎて書き表せません。
実は最近考えたことがあります。
私にとってこの「みんカラ」は正直、勝手ながら書き始めました。
「まあ、限られた人が見るんだからなあ・・・」とずっと思っていたのです。
ところがコレがネットの恐ろしさ・・・・。
ココには書けませんが、「恐れ多くてとんでもない方々」がご覧になっていると最近知ったのです。
楽しみにして下さっていると同時にお叱りをも受けました。
本当に嬉しいと同時に申し訳ない気持ちでいっぱいなのです。
嬉しいもので個人的にもNISMOの方々に喜んでいただいております。
もうネットでは公表しているので正直に書きますが昨年末、「NISMO AWARD 2005」というパーティに特別に招待してくださったのです。
入り口で団長(このときは人数が限られていてどうしても応援団すら揃う事が出来ないほどでした)がまだ到着していなかったとき、入り口で戸惑っていました。「私のような者が・・・・」と。
「遠慮なさらずに」とNISMOのOさんが私を入れようとしたのですが拒んでいました。
Oさんがお気づきになられたと思うことがいくつかあります。
私が引っ込み思案だということ・・・・
中に入ればレーシングドライバー達が声をかけてくれました。
マイケルは我が娘を抱きかかえてくれました。
星野さんは「藤枝マルナカラーメン!」と私を呼んでくれました。
引っ込み思案。
それじゃダメだと最近わかったのです。
もっと自信持っていいじゃないかと・・・。
私は「スゴいヤツ」になりたいと思いました。
具体的にはわかりません。
でもここで満足していたら終わりのような気がします。
静岡の会、脱会はそのひとつの理由です。
静岡を越え、全国に向けて発信するのもいいじゃないかと・・・。
私は星野一義さんの引退、02年ニスモフェスティバルの時、R32カルソニックスカイラインをボロボロになった身体で叫びながら全開走行してくださいました。
ファンのために彼は本気のドライブをしたのです。
私はそれを思い出し、「少しでも支持して下さる方々がおられるのなら」と思い、「みんカラ」が有る限り存続させて頂く事とさせていただきます。
余談ですがそのニスモフェスティバルではNISMO「安達二郎」社長が退任なさった時で最後に私にメールを下さいました。
「N-JUNKIEさんの為に星野をF3000 CABINで走らせます!!!」
私はその時パニックに陥りました。
当日は引退する星野一義さん、退任する安達二郎さん、ニスモフェスティバルでは見納めになる富士スピードウェイ(旧コース)を思うと最後の星野さんのセレモニーで涙が止まりませんでした。
偉そうな事書き綴っておりますが、私は関係者でも何でもありません。
自動車部品製造会社の一社員です。
役職もありません。
ましてや日産応援団をやっている事など知りやしないでしょう。
それでもいいんです。
家族を養う収入と少しクルマを触れる収入さえあれば幸せなのです。
スカイラインという自動車の部品総数は何百種類もあります。
その中の一種類の生産ですがを手に取っただけで幸せになれる単純なヤツです。
間もなく39歳。夢を大きく持っていいかなあ?
団長さん応援団さん、オレ応援団でいなくてはいけないヤツになれたかなあ?
みんカラから応援団に参加してくれたみんな喜んでくれてるかなあ?
日産チーム、関係者喜んでくれてるかなあ?
2006 5.7 長文乱文にて・・・・
N-JUNKIE 日産応援団
【N-JUNKIE】
Nは日産。JUNKIEは中毒。熱狂的フェラーリファン、ティフォッシ (tifosi)に対抗したハンドルネーム。ティフォッシはチフス患者の複数形の意味を持つ。
Posted at 2006/05/07 20:13:25 | |
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