あの方がよく知る私の婆ちゃんが開業した
駄菓子屋。
もう私の婆ちゃんが他界して6年経過しました。
母親の母親です。
21世紀も見ることが出来ず、私の娘(ひ孫)も見ることができなかったのです。
その後、お嫁さん(もうイイ歳ですけど)が切り盛りしていたのですが休業が目立っていました。
半世紀に渡り営業してきた駄菓子屋。
全盛期はカキ氷が売れに売れ、静岡駄菓子屋名物「おでん」も売上を伸ばし、ご近所や学生さんがよく買って行きました。
婆ちゃんは練炭に火をつけ毎朝コトコト煮込みます。
私は両親が共働きで婆ちゃんに預けられていました。婆ちゃんの作業工程を覚えてしまいました。
やがて私は小学生。公園で野球をやったりサッカーをやったり。
遊びに来る友達を婆ちゃんの店に連れて行って売上の貢献をしました(笑)。
公衆電話が無い駄菓子屋。
「電話貸してもらえませんか?」というお客さんが後を絶ちません。
自家用黒電話を嫌な顔せず差し出した婆ちゃん。赤字なのに・・・。
爺ちゃんがリウマチが悪化して寝たきり老人になろうとしていた頃、名物「おでん」販売廃止。変わってタバコをはじめました。
やがて婆ちゃんも脳卒中で倒れてしまいます。
そして爺さんが他界。
婆ちゃんはやがて言葉を忘れただ生きているだけに思えるような悲しい姿になってしまいました。
時折涙が出ていました。
そんな婆ちゃんなのに私は
藤枝大祭に参加することになり朝、晴れ姿を見せようと婆ちゃんのところに毎日行きました。
嫁をもらうことになり婆ちゃんに紹介に行きました。
もちろん婆ちゃんは動けません。喋りません。
そして私の娘が生まれる3ヶ月前。。。。。
この世を去りました。
その後、この店は開いたり閉じたり。
最後には閉店同然。
売上の殆どはタバコでした。
婆ちゃんは美味そうにタバコを吹かしていた記憶があります。
そんな婆ちゃんの店がこの度、閉店になりました。
コンビニの波に推されても頑なに断り、続けていた駄菓子屋。
売り上げなんてほとんど無いのに続けていた駄菓子屋。
そして現在。
世の中は変化していき、子供がお菓子の買い物をしなくなりました。
理由は世の中の狂った物騒な事件が多く子供が遊ばなくなりお菓子など買わなくなったと言います。
半世紀に渡って始業してきた婆ちゃんの駄菓子屋。
拍手を贈ってあげたいと思います。
婆ちゃんの煮込んだ「黒はんぺん」美味しかったよ。
この場をお借りして、買い物に来て下さった方々にお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
PS…婆ちゃんのおでん。私の母親があの味を出す時があります。
最近は手抜きが多いけど・・・・・・
Posted at 2006/06/01 21:18:03 | |
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