
それは、フランスのルマン・サルテサーキット。
1999年6月9日(水)18:00頃、トワイライトタイムを狙って予選が行われるため、NISMOのツアーはスタンドに陣取ったのである。
旗を用意する黒澤団長と、常連のツアー参加者。
「手伝いましょうか?」とオレは旗の準備をしていた。
何の事は無い、自分も振りたいだけである(笑)。
「あのぅ・・・僕も振ってイイですか?」と黒澤団長に言った。
「どうぞ、こちらからもお願いします!!」という言葉が返ってきた。
どうしても参加したくてたまらなかった。
子供の頃からの日産モータースポーツの憧れ。
日産が世界にチャレンジする晴れ舞台。
練習すると旗が絡まってうまく舞うことができない。
見かねた団長は「Nジャンさん、8の字に振ってください。綺麗に振れますから・・・。」
見事振ることができたのである。
そして予選がスタート。
ピットアウトするR391に団長がメガホンを掲げた。
「がんばれ~!!!日産~!!!!」
何事かと周囲は注目する。日産ピットのスタッフは驚いてこちらを見た。状況を飲み込んだスタッフは笑顔だった。
オレは旗を掲げた。
何とか振るように何度も練習を兼ねていたのだが・・・・・。
#23、のR391がいきなりクラッシュ。
旗を掲げることが難しくなっていく。
日産はチャレンジを続けた。
#22のR391と#21のC52がアタック。
オレはそれでも旗を上げた。
日産応援団に参加したいと思い続けた日々。
30年近く(当時)、日産が好きで好きでたまらなかった日々。
それぞれの思いが溢れてきた。
夢中だった。
オレも仲間に入れてもらえた・・・。
あの喜びは誰も気付かなかっただろう。
あの日を忘れることなど出来ないだろう。
Posted at 2006/06/03 21:36:34 | |
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