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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2006年06月07日 イイね!

〔N-JUNKIE'S SKYLINE GT-R(BNR32)〕

〔N-JUNKIE'S SKYLINE GT-R(BNR32)〕R32は早いものでもう18年乗っている。
HCR32が5年、BNR32が13年だ。

本当はR34やR33どころかKPGC110、KPGC10、PGC10までも惹かれる。

我がR32に乗リ続ける理由。
そう、ただ「スカイラインGT-R」というだけなのである。
「Gr.Aやデビューしたときの衝撃」だと理由をつけるのは簡単だと思う。
早い話が経済的に買い替えは不可能なのだ。
ハッキリ言って、BNR32を凌ぐ車種はあると思う。
しかもイイ新車が比較的安価で販売されている。

GT-Rのネームバリューは凄いと思う。
だから黙っていてもフッカケはいくらでもある。

「GT-Rなんて金持ちが金出せば買えるんだよ。」
ツレとも思いたくないツレだが(笑)、そういう声が実際あった。
半分アタリ。
自動車は商品だから金銭が発生する。しかも34Nurを買おうモンならねぇ・・・
だが、新車より安く買えるGT-Rはある。
そう、ユーズドだ。
程度は立派なモンじゃないだろう。
だけど100万円以下で買えるんだから「GT-Rなんて金持ちが金出せば買えるんだよ。」と言われる筋合いは無い。

ごく普通の会社員のオレは無理なつぎ込みをしてユーズドRを購入したんだ。まだサンサンが出る前だ。
金持ちでも何でもない。新車じゃ買えなかった。それでも400万円は超えていた。
周りは結婚とかしていった。将来を真剣に考える時期なんだよ、普通は。
そんなのそっちのけで、そういう金をGT-Rにつぎ込んだオレは大バカだと思う。

オレのGT-Rの下取り査定金額は笑える。
ほとんど値段なんて無い。
普通の人は買い換えることを検討するだろうなあ。
だけどさ、オレ、バカだからGT-Rに乗りたいんだよ。

未だに「ポンコツ」だの「廃車」だの「もうやめろよ」と無責任な声がオレに浴びせられる。
オレは最初、怒りを覚えたが、大人になったのか(笑)、笑えて来るようになった。

人はどう思っているか知らない。
だけどオレはサンニィなんだよ・・・
Posted at 2006/06/07 23:39:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | GT-R | 日記
2006年06月07日 イイね!

Nジャンの赤き魂 #13 ~世界へ~

昭和59年。
日産は、ルマン24時間にチャレンジを始める。
マツダ、トヨタもルマンに挑戦していた。

いよいよ日産が世界の桧舞台に立つ時が来た。

暗中模索の日産勢。

長谷見・和田・ウェーバー組が初完走総合16位でフィニッシュ。
しかし優勝したポルシェ962Cより80周もの遅れであった。

立ちはだかる世界の壁。

日産のあくなき挑戦が始ったのであった。

それからというもの日産のルマン制覇の夢はNジャンの夢でもあった。
いつか、日産のルマン制覇を見たい・・・・。
その夢は今でも変わっていない。
Posted at 2006/06/07 23:01:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | クルマ
2006年06月07日 イイね!

Nジャンの赤き魂 #12 ~NISMO誕生~

昭和57年。
日産ワークスのマシンはGr.Cカテゴリーに合わせて製作された。
マシンにはSKYLINE、FAIRLADY Z、SILVIAの文字が書かれていた。

この年のWEC IN JAPAN。
またも欧州チームに負けてしまう。
今度はジャグヮーが名乗りを上げてきた。

その年・・・・
日産大森ワークスと追浜ワークスが合併。
モータースポーツ会社、NISMOが誕生した。

昭和58年。
ニスモはR85Gを開発。
同時にこの年から開催されるツーリングカーレース、Gr.A。
更にこのGr.Aの世界選手権インターTECが開催されることになった。

この年のWEC IN JAPANは土砂降りだった。
TVを見ながら高校生だったNジャンは思った。
「これでやるのぉ!!!!」
案の定、スタートと同時にポルシェ、ジャグヮーが危険と判断しリタイヤをした。
しかし、日産、トヨタ、マツダはレースを続けた。
レースは短縮。
トップは日産R85G星野一義。ドライバー交代はしなかった。
レースカーはスピンやクラッシュが相次いだ。
星野でさえスピンをした。
しかしレースはそのまま星野一義が優勝。
TVインタビューで彼は怒りを露にした。
「やるならやる!やらないならやらない!俺たちはそれに従うだけだ!!!」

そしてインターTEC。
今度はジャガー、BMW、ボルボが国産車を苦しめる。
三菱スタリオン、日産スカイラインRSターボが迎え撃つ。
しかし、このレースも国産車の完敗であった。

あまりにも世界の壁が遠くに見えたNジャン。
日産を応援する気持ちの基礎はこの辺りから本格的になってきたのだった。
Posted at 2006/06/07 22:46:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | クルマ
2006年06月07日 イイね!

Nジャンの赤き魂 #11 ~日産ワークス復活~

昭和56年。
衝撃的なレースが日本の富士スピードウェイで行われた。
WEC IN JAPAN。
ルマンの覇者が集うGr.Cカテゴリー。
ポルシェ、ランチァ・・・。
トヨタも日産もこぞって参加。
既にマツダはルマンにチャレンジしていた。

欧州に比べ見るからにも遅れをとっている日本車勢。
トヨタはセリカを。日産はスカイラインを。マツダはサバンナRX-7をレース用に大改造してきた。
しかし・・・・

その差歴然。欧州の王者たちに歯が立たなかった。

TV生中継を見ていたNジャン。
悔しさだけが残っていた。
Posted at 2006/06/07 22:29:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | クルマ
2006年06月07日 イイね!

Nジャンの赤き魂 #10 ~PLASMA~

Nジャンの赤き魂 #10 ~PLASMA~ FJ20型エンジンはシルビア・ガゼールにも搭載された。
ラリーフィールドではシルビアベースの240RS、200SXが活躍。
しかし、トヨタ・セリカに水を開けられていた。

日産はセドリック・グロリアに始まり、フェアレディZやローレルに現在の主流であるV6エンジンを搭載させた。
スカイラインはL型とFJの二刀流。
スカイラインは7代目に交替。
新エンジンRBエンジンを搭載させた。

日産はプラズマエンジンシリーズを完成させた。

そしてモータースポーツの火が再び点こうとしていた。

日産のアグレッシヴを感じていた。
いよいよ日産の猛攻が始った。
Nジャンはトキメキを隠せないでいた。

当時高校生だった。
もう、日産以外に考えられなくなっていた。
Posted at 2006/06/07 22:18:23 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日産 | クルマ

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「【NISSAN】そのご意見… http://cvw.jp/b/116827/48483762/
何シテル?   06/13 19:25
「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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かつて所有していたスカイラインGTS-t TypeM。 初の新車購入でした。
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