
物心ついて日産モータースポーツの活躍を初めて目にしたのはスーパーシルエットシリーズ。
スカイライン、ブルーバード、シルビアが活躍していた。
雑誌を立読みしてはその写真にクギヅケだった。
親戚の兄貴が写真を趣味にしていてカメラの展示会に連れて行ってくれた。
当時8mm映写機のデモストレーションをやっていてこのスーパーシルエットが映し出されたのを記憶している(作品は今現在、岡谷スカイラインミュージアムで公開しています)。
モータースポーツはやがてGr.C時代に突入。
スカイラインだけがシルエットを残しつつもチャレンジをしていた。
しかし、ポルシェ、ランチァなどのモンスターマシン相手に歯が立たなかった。
Gr.Aカテゴリーも始まりスカイラインRSターボに期待を膨らませた。しかし、車両がどう考えたって古すぎる。
ボルボ、ジャガーにとうてい歯がたたなかった。
日産に勝って欲しい・・・・・。
日産ファンであるなら誰もがそう思うはずである。
87年。インターTECに待望のニューマシンがエントリー。
スカイラインGTS-R。
日産のエース星野一義を起用した。
TV中継を見ていた。
GTS-Rはタイヤバーストを起こす。
見る見るうちに戦線離脱。
Nジャンはため息しか出なかった。
その後、GTS-Rが活躍をはじめるのだが89年のリーボックスカイラインがシリーズチャンピオンになるのだが世界のマシンを相手にするインターTECで中々勝てなかった。
TV中継を見ているNジャンに親父殿がイヤミを言った。
スープラを新車購入し調子付いている親父。
「日産は勝てないなあ・・・ダメだなあ!」
Nジャンも若かった。
「なんだその言い方!」と言ってモノを投げつけた。
取っ組み合いの親子喧嘩に発展した。
90年。遂にルマンで日産がポールポジション奪取することとなったが・・・。
Posted at 2006/07/09 09:36:47 | |
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モータースポーツ | 日記