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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2006年07月09日 イイね!

日産モータースポーツ・・・・・・Nジャンが悔しい思いをした時 その3

日産モータースポーツ・・・・・・Nジャンが悔しい思いをした時 その300年、JGTC。
注目は最終戦鈴鹿だった。
ロックタイトゼクセルGT-Rに日産ファンは期待を寄せる。
ウェイトハンデを背負い後方に追い込まれてしまった予選。
決勝スタート。
NSX勢が果敢にブロックを仕掛ける。
ドライバーのエリックがもどかしい思いをしていることはTVの前のNジャンでさえわかっていたのだ。
結果・・・・・
残念なことにチャンピオンを逃してしまった。

01年も同様。ザナヴィ・ヒロトGT-Rが高位置につけながらもチャンピオンを逃してしまった。

02年鈴鹿。黙っていられなくてNジャンは初めて鈴鹿の地を踏んだ。
一度もGT-Rが優勝していない。
レーススタート。
必死で旗を振るNジャン。
だが・・・・・・
日産が表彰台を飾ることは無かった。

記憶に新しい05年、SuperGT最終戦鈴鹿。
土砂降りの中、震えながら日産応援旗を振った。
さすがに雨に強くなった旗とは言え風に煽られ水を含み超重量級の旗になった。
ニスモは驚く作戦に出た。
大ギャンブルである。
わずか1周でピットイン。
リチャードライアンが強力にプッシュする。
追いつけなかった。
あと2周あったら・・・・・・・

Nジャンは天を仰いだ。こらえることは出来なかった。

勝利という喜びの裏側には必ず敗北がある。
悔しさをバネにという表現は使い古されているが他に替わるものは無い。
喜びばかりじゃない。
悔しさを覚えることも大事だと思う・・・。
Posted at 2006/07/09 10:17:22 | コメント(1) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2006年07月09日 イイね!

日産モータースポーツ・・・・・・Nジャンが悔しい思いをした時 その2

89年のルマンでは結果的には負けた事になるが一時3位を走行した日産。
90年は期待が膨らんだ・・・・
しかし相次ぐトラブルで戦線離脱。
唯一日本の日産チームが5位で終えたが、欧州のチームの牙城を崩すことはできなかった。
その後、日産はレギュレーション変更に伴いルマンを追われてしまった。

94年。IMSAチャンピオンの300ZXがルマン参戦。
久しぶりにルマンでの日産マシンを見た。
米国でチャンピオンとなったマシン。期待は膨らんだ。
しかし・・・・
ルマンレギュレーションマシンのほうが一枚上だった。
プロトタイプカーのほうに分があるようだった。

95・96年。日産GT-Rがルマン参戦。
初めてルマンにGT-Rが走った。
だが・・・・・・
モンスターマシン、マクラーレンF-1 GT-Rとの差は歴然だった。

97年。日産はR390GT-1を投入。
誰もが優勝候補の筆頭だと思っていた。
ミッショントラブルが露になり戦線離脱。

ルマンで日産が勝てない・・・・・・

現実を受け入れることを拒むNジャンだった。
Posted at 2006/07/09 10:05:18 | コメント(1) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2006年07月09日 イイね!

日産モータースポーツ・・・・・・Nジャンが悔しい思いをした時 その1

日産モータースポーツ・・・・・・Nジャンが悔しい思いをした時 その1物心ついて日産モータースポーツの活躍を初めて目にしたのはスーパーシルエットシリーズ。
スカイライン、ブルーバード、シルビアが活躍していた。
雑誌を立読みしてはその写真にクギヅケだった。
親戚の兄貴が写真を趣味にしていてカメラの展示会に連れて行ってくれた。
当時8mm映写機のデモストレーションをやっていてこのスーパーシルエットが映し出されたのを記憶している(作品は今現在、岡谷スカイラインミュージアムで公開しています)。

モータースポーツはやがてGr.C時代に突入。
スカイラインだけがシルエットを残しつつもチャレンジをしていた。
しかし、ポルシェ、ランチァなどのモンスターマシン相手に歯が立たなかった。
Gr.Aカテゴリーも始まりスカイラインRSターボに期待を膨らませた。しかし、車両がどう考えたって古すぎる。
ボルボ、ジャガーにとうてい歯がたたなかった。

日産に勝って欲しい・・・・・。
日産ファンであるなら誰もがそう思うはずである。

87年。インターTECに待望のニューマシンがエントリー。
スカイラインGTS-R。
日産のエース星野一義を起用した。
TV中継を見ていた。
GTS-Rはタイヤバーストを起こす。
見る見るうちに戦線離脱。
Nジャンはため息しか出なかった。
その後、GTS-Rが活躍をはじめるのだが89年のリーボックスカイラインがシリーズチャンピオンになるのだが世界のマシンを相手にするインターTECで中々勝てなかった。

TV中継を見ているNジャンに親父殿がイヤミを言った。
スープラを新車購入し調子付いている親父。
「日産は勝てないなあ・・・ダメだなあ!」
Nジャンも若かった。
「なんだその言い方!」と言ってモノを投げつけた。
取っ組み合いの親子喧嘩に発展した。

90年。遂にルマンで日産がポールポジション奪取することとなったが・・・。
Posted at 2006/07/09 09:36:47 | コメント(1) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記

プロフィール

「ルマンにNISSANの夢 http://cvw.jp/b/116827/48484444/
何シテル?   06/14 04:55
「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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かつて所有していたスカイラインGTS-t TypeM。 初の新車購入でした。
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