
21年前の今日。
全国に衝撃的なニュースな流れた。
昨年も書いた日航機事故の記憶。
あのブログ内容を再び抜粋し現在の文章に改めて書き込みたく思います。
日航機墜落事故から21年。
21年前。私は高校3年生。就職先を探し始めようとした夏休みの真中。
20年前の8月11日の夕暮れ時、私は偶然にも空を見上げた。
「飛行機飛んでらぁ。ホント高いよなあ。」そう思っていた。
翌日・・・・・
TVニュースでいきなり緊急ニュースが入ってきた。日航機消息不明。
時間が経って夕方頃、焼津・静岡で低空飛行の旅客機の目撃者が現れた。
そのあと尾翼が相模湾で発見されたというニュースが入ってきた。
直後、どのTVチャンネルも燃える機体が映し出される事となった。
翌日驚きの一報が入った。生存者確認・・・・。
そして事故と日本航空機の真相が露になっていく・・・・
機長は最後まであきらめずに必死で操縦桿を握っていただろう。
非番で偶然乗り合せた生存者のスチュワーデスの女性は必死で業務をはじめたと言う。
この事故は決して他人事ではなかった。
私の妹の同級生(転校したらしいが)一家が乗り合わせていて亡くなってしまったという・・・。
♪見上げてごらん・・・・夜の星を・・・・
記憶・・・・・
お盆の帰省ラッシュの真っ最中。
満員の旅客機は御巣鷹の山を赤く染めてしまった。
安全旅客機、「ジャンボジェット機」と呼ばれる「ボーイング747」神話の崩壊。
ボイスレコーダーに機長が必死で操縦桿を握る姿が記録していた。
最後まで諦めず・・・・・
「どーんと行こうや!」「右!右!」「左!左!」「まだ行ける!」
最後の言葉は・・・・
「あ・・・あかん・・・もうダメや・・・・」
今でもこの機長さん立派だと思っている。
当初、事故原因は機長にあったと噂された。
無責任極まりない噂だった。
乗客は遺書を書いた人もいた。
記録として写真に残す人もいた。
そして・・・・傷だらけだったけど生存者もおられた。
自衛隊、地元消防団、ボランティア、警察。
必死の救助活動が続けられる画像はTVニュースで流れていた。
一人でも多くの生存者を・・・
現場は無残な姿だったらしい。
遺族のある方がこう言っていた。
「もう帰ってこないと思うと今でも悲しい気持ちです。ですけど今の世の中もっと残虐な事件で命を落とされた人もおられるじゃないですか。それを思うとネ・・・・・・・」
「かけがえのない命」
今年はプール事故が起きてしまった・・・・
故人のご冥福をお祈りいたします。
Posted at 2006/08/12 21:34:40 | |
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