
白州次郎さんをご存知だろうか・・・・
日本人に驚くべきカー・ガイがいたのだ。
残念ながら1985年11月83歳で亡くなられている。
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兵庫県芦屋の富豪の御曹司だった白州氏。
イギリス・ケンブリッジ大学へ留学。
なんと彼はBENTLEY 3LITTER XT7471を愛車にしていた。
敗戦後、白州氏は吉田茂外務大臣の要請で終戦連絡事務局参与となりGHQとの交渉にあたる。
GHQの民政局長ホイットニー将軍と初めて対面した時、「白州さん、あなたの英語は大変立派な英語ですね」と言われたが、「あなたも、もう少し勉強すれば立派な英語になりますよ」と答えたらしい。
そしてあのマッカーサ司令長官に白州氏は天皇陛下からのプレゼントを届けたのだが「床に置いてくれ」との仕草に対して「我が天皇陛下からの贈り物を粗末に扱うとは何事だ!」と激怒し、マッカーサを慌てさせたという。
白州氏は、日本で初めてジーンズを履いた男である。
サンフランシスコ平和条約調印の際、アメリカに行く時スーツ姿の団体の中にジーンズを履く白州氏だった。
白州氏は、なんとポルシェ911を80歳まで愛車にしていた。
1600ccがスタンダードだったエンジンを2400ccに載せ替えたのである。
「ポルシェ911には、1600ccのエンジンでなく2400ccのエンジンが望ましい」という事だったらしい。
後にポルシェ911は最初から2400ccのエンジンが積まれる事になる。
トヨタ自動車社長の豊田氏(当時)はソアラ開発責任者の岡田氏を白州氏に紹介した。
岡田氏は、見識の深さに驚いたという。
白州氏は晩年ショーファードリブン(運転手付)のクルマに乗り込むことになる。
運転手を雇ったワケだがそのクルマ、ロールスでもベントレィでもメルセデスでもBMWでもない。
センチュリーでも無ければプレジテントでも無い。
三菱「ミラージュ」だった。
白州氏、1985年11月83歳で亡くなる。
遺言は、わずか「葬式無用、戒名不用」の二行だった。
翌年、豊田氏と岡田氏は、ニューソアラに乗って白州次郎の墓を訪れ、完成を報告したという。
Posted at 2006/09/22 21:28:46 | |
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