
~黒澤剛 日産応援団長の言葉 前編~
※さすがに100%記憶しているわけでは無いので大筋で記載させていただきます。
私がルマンに行ったのは96年の事でした。新婚旅行で行ったのがキッカケです。
ルマンの予選を見ていたのですが、ただ見ているだけの自分に対してつまらなかったのです。
食事に行った時、お城に掲げてあった日産の横断幕を見て、貸してもらえないかと思い、熱きツアーコンダクター「大槻」と貸してもらえないかと交渉し、貸してもらえることができました。
ルマン決勝。私達が食事で応援席を外した時、GT-Rが一台いなくなりました。
そのとき、物凄く後悔しました。
「なんで席を外したんだろう・・・」
翌年、「大槻」が連絡をくれたのですが内容は「今年も行きますよ、黒澤さん。」でした。
二つ返事で行くことにしました。
97年。日産はR390を導入。
鳥肌が立ちました。
「これなら勝てる!」
しかし勝てませんでした。
98年。トヨタ・メルセデス・ポルシェといった強豪が登場する中、日産はジワジワと順位を上げてきました。
星野一義さんルマン・ラストランでした。
最後、R390がナカナカ来なかったんです・・・・
「どうしたんだろう?」
そう思っていたところなんと4台揃ってゴールラインを通過したのです。
感動しました。みんな泣いていました。
星野さんのファンであった棚網さんに「星野完全燃焼」の旗を掲げてもらいました。
その模様が会報誌に連載されました。
99年。日産R391が登場。
ルマンでは勝つことが出来ませんでした。
しかしルマン富士1000kmで優勝した時には感動しました。
そして日産はルマン参戦休止・・・・
Posted at 2007/03/11 10:58:12 | |
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