2007年06月23日
※登場人物は演出の為、敬称略です。失礼お許しください。
2002年5月。
JGTC第2戦。
NISMOワークス#22、#23ともに今現在も続く赤/銀のベースカラーになった。
黒澤が言った。
「日産応援旗なんですけど、このトリコロールカラーはもうすぐ廃止になります(JGTCシリーズレース時)。」
思い出の詰まったトリコロールカラーの応援旗は後に廃止されることになる。
レースは荒れに荒れてペースカーラン6回。
日産はGT300の#3 ユニシアジェックスシルビア 、#81 ダイシン ADVAN シルビア ともにリタイヤ。
GT500もスープラ・NSXに完敗。
GT-Rの名機RB26DETT(レースマシン)の致命的欠点が露わになる時代となった。
NSXはミッドシップ、コンパクトなV6エンジン。しかもお得意のV-TEC。
スープラは軽量コンパクトな4気筒エンジン。
スカイラインGT-Rだけがオリジナルに拘っていた。
直6エンジンの物理的な問題点だけはどうしようもなかった。
Posted at 2007/06/23 22:31:14 | |
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日産応援団 X | 日記
2007年06月23日

2001年ニスモフェスティバル。
プログラムが進行。
日産応援団参加は恒例になった。
目玉はGr.Cカテゴリーの茂木走行。
なんとゲストはTEAM TAISANよりポルシェ962Cだった。
そしてグランドフィナーレ。
イベントはM・クルム&伊達公子夫妻結婚報告。
祝福が贈られた。
年が明けた2002年。
日産応援団に大きな試練が待ち構えていた。
Posted at 2007/06/23 00:11:56 | |
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