
~S30 FAIRLADY Z ~
1969年。
日産はあの傑作、フェアレディZを登場させた。
SOHCのL20型エンジン搭載のZ、アクセサリーが装着されたZ-L、そしてスカイラインGT-Rと同じユニット(若干仕様は違うが)、DOHCのS20型エンジン搭載の432が用意された。
更に競技用ベース車、Z432Rも登場。
なんとA級ライセンス所有者や関係者にしか販売されなかったという。
1974年には4人乗り2by2が発売。
1975年、インジェクション(電子制御燃料噴射装置)車が登場した。
Mr.K(ミスターK)こと片山豊氏は米国日産初代社長として腕を奮いDATSUNブランドを確立。
スポーツカーは高価なモノばかり。
一般のユーザー向けスポーツカーの必要性を求めた。
開発スタッフは遊園地のカートをデザインした若手のデザイナー、バキュームカーなどのマイナーな特殊車両専門のスタッフ。
片山氏は開発スタッフに、Z旗を贈呈した。
Z伝説の幕開けである。
アルファベットでの最後はZ。それ以上ない称号。
ゆえにそれ以上無いスポーツカーということ。
米国でこのZ(ズィー)カーを販売。
空前の大ヒットを飛ばした。
日本国内でも人気爆発。
当時、国産車にスポーツカーらしいスポーツカーは存在しなかった。
1971年、サファリラリーで「ダットサン・240Z」が参戦し1-2フィニッシュを達成。完全制覇の偉業を遂げた。
同年、「富士グランドチャンピオンレース」GCクラス。
「240Z」が優勝。ドライバーは「Zの柳田」と呼ばれた柳田春人氏。ちなみに現在SuperGTで活躍中の柳田真孝選手の父親である。
その他、モータースポーツでS30Zは大活躍。輝かしい成績を残す。
モータースポーツでのS30フェアレディZは、同じ日産のKPGC10スカイラインGT-Rがライバルとなったこともあるという面白いエピソードもある。
ボクはこのZを初めて見たのはこれまた小学生の頃。
親父は言った。
「これな、フェアレディって言うヤツ。日産のスポーツカーでスカイラインより高くって2人しか乗れないんだぞ。」その言葉は衝撃だった。
「そんなクルマが存在するのか!!」
4~5人乗りのクルマがアタリマエだった子供の頃のNジャンにそれはカルチャーショックだったな。
誰だぁ?「湾岸には伝説がある」とか言い始めちゃうの。マンガの見すぎです。
「突然言うことをきかなくなる」とかw
※画像提供:日産応援団Sさん
Posted at 2008/02/09 10:12:46 | |
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