
~激動の1982年~
1982年。
この年はモータースポーツ革命というかそんなイメージが強かったなぁ。
オレも中学3年になった。
F-1界のフェラーリチームに衝撃が走ったんだ。
(故)ジル・ビルニューブ(ジャックの父)氏が事故死。
(故)テディ・ピローニ氏はクラッシュで再起不能となったワケ。
チームチャンピオンがフェラーリだったのは皮肉だったよね。
ドライバーとしてのチャンピオンは優勝1回、ポール1回というある意味伝説を作ったウイリアムズのケケ・ロズベルグ(ニコの父)氏。
散々陰口叩かれたようだったよ。
国内の最高峰F-2じゃ、ホンダパワーで快進撃を続ける中嶋悟選手。
ヨーロッパでも好成績を残すことに・・・
そしてスポーツカー選手権にも大革命が起こる。
世界スポーツカー選手権WECの開催だよ。
そう、伝説のGr.Cカテゴリーだ。
ル・マン24時間レースはCカーのポルシェ956が完全勝利した。
ポルシェはいち早くGr.Cカテゴリーに対応したんだ。
でも始まったばかりのGr.Cだったから台数が少なかった。
そんなこともあってGr.6もエントリー可能だったんだよ。
その最大のライバルが、ランチア・マルティーニG6だったんだ。
日本人として嬉しかったのは遂にマツダ・ロータリーが14位だったけど初完走したんだ。あれは嬉しかったね。
WECが日本の富士スピードウェイにも登場するんだ。
それがWEC in JAPANだ。
TVでも中継されたよ。
日本もトヨタと童夢がジョイントしてトヨタ・セリカCを登場させたんだ。
だけどレースは完全にポルシェとランチァが支配するんだ。
結果ポルシェの完勝。
これまた日本車との差を見せ付けられたよ・・・・
Posted at 2008/05/25 19:51:55 | |
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Nジャンとモータースポーツ | 日記