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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2008年05月27日 イイね!

釣り・・・・

釣り・・・・Nジャン君、こう見えても時々釣りをする。
まぁ、最近は忙しくて行ってる時無いけどさ。
ターゲットは特に無いけれど、そりゃ大きいの釣りたいさ。

ある日、港に行ったんだよ。
シーバスロッドも持ってはいるけれど、ルアーはダルいから投げ竿にしたんだ。
完全なエサ釣り。
「イソメで釣れりゃなんでもいいや。」とか思う。
まぁ、キスでも釣れればそれならそれで・・・

そしたら大きい魚が顔を出したんだよ。
アレはシーバス(スズキ)だと思うけどさ。
ボラじゃないことは確か。
ついつい狙っちゃうんだな、コレが。

んで・・・
遠からず近からずにそっと投げるんだよ。逃げちゃうからね。
んでアタリを待っていると、その大物がジャンプ。
「いひひひひ・・・」とニヤけるNジャン。

そこにそれを見たガキ子供さんが!!!
しかも持ってるのはルアーとシーバスロッド。
Nジャンの横でポチャッ・・・・

オイ!

その後、Nジャンの竿にヒットのヒの字も無くなりました。
結局ボーズ。
時々引いたんだけどなぁ・・・・

このガキがぁ!!!
ダメでしょ、オジさんが先にやっているんだから。
後からチョコチョコちょっかい出さないで。


人がせっかくチャンスをじっと待っているのに横槍入れるヤツっていますよね!!

気をつけましょうね。
Posted at 2008/05/27 23:40:58 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記
2008年05月27日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #24

Nジャンとモータースポーツ #24~HOSHINO!!~

1986年春のこと。
日産はルマンチャレンジを計画してドライバーも決定してたんだよ。
星野一義選手も決まっていて一番弟子の(故)萩原光選手とも一緒に行く予定だったんだ。
でも・・・・

萩原光選手の死に涙が止まらなかった星野一義氏。
萩原選手の弟子だった影山正彦・正美兄弟。
街道レーサー時代の「小田原の速いセリカ」で走り屋あがりの萩原光選手の死にモータースポーツファンの間にも波紋が広がったんだ。

日産は萩原選手の後任に一人のドライバーを抜擢したんだ。
それが「鈴木亜久里」氏なんだよ。

そして国内にビッグニュースが流れたんだ。
鈴鹿で日本GP開催の復活を発表。
ホンダがウイリアムズに加えてチーム・ロータスへのエンジン供給を発表したんだ。
そして中嶋悟選手のチーム・ロータス入りを発表。日本人初の全参戦F-1ドライバーが誕生したんだ。

このニュースにモータースポーツファンは沸いたんだ。

だけど・・・・・・

ホンダが選んだのは中嶋悟氏。星野一義氏じゃなかったんだ。
もちろんシートが二つあるのが良いのだけれど、そうモータースポーツだって甘くない。
もちろん星野さんが選ばれたって実力もあるから期待は出来るんだよ。
だけど・・・・
中嶋悟氏、当時34歳。星野一義氏、当時39歳。
そういうことらしいよ。

星野一義氏は後にそのことが悔しくてたまらなかったって著書に書いたよ。
オレも「残念」って、そう思ったよ。
だけど、どこか複雑なところがあってね。
他の人がどう考えているかわからないけれど、個人的には「星野=日産」であって欲しいんだよね。
「星野さん、日産で、ルマンで日の丸揚げてよ。応援してるからさ。」ってこれまた純粋に思ったものだったよ。
そう、世界への夢は終わっちゃいないってね。

まだオレも青臭い19歳だったよ。

2008年05月27日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #23

Nジャンとモータースポーツ #23~チャレンジ~

1986年。
F-1ではA・プロストが最終戦で逆転優勝。チャンピオンになった。
誰もがロータスのナイジェル・マンセルがチャンピオンだと思っていたんだけど運命ってのは無情だよね。タイヤバーストで戦線離脱だったそうだよ。
余談だけどこの年、ロータスのチームメイト同士のナイジェル・マンセル選手と(故)アイルトン・セナ選手は取っ組み合いで喧嘩したそうだよ。

国内ではヤマハエンジンが大暴れ。
F-2もグラチャンでも優勝を重ねたんだ。
特にグラチャンではジェフ・リース選手が初の外国人チャンピオンになったりしたんだよ。

ルマンはポルシェの完全勝利。
1位~10位まで独占ときたもんだ。
こりゃ、凄すぎるよね。
トヨタもマツダもリタイヤに泣いたんだよ。
ところがこの年からニッサンがチャレンジを開始したんだ。
完走したのは16位だった「長谷見昌弘・和田孝夫・ジェイムズ ウイーバー」各選手のドライブするニッサンR85Vの1台だけだったんだよ。

国内でのGr.Cカテゴリーでニッサンが頭角を露にするんだ。
ただし世界の壁はまだ厚かったWEC in JAPANだったよ。

Gr.Aではやっとスカイラインが速くなってきたんだ。
ただ型遅れのR30型だったんだ。

そしてこの86年ってのは、激動の86年だったんだよ。

2008年05月27日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #22

Nジャンとモータースポーツ #22 ~第二次創世記~

1985年。
Nジャン、高校最後を迎えたんだ。

F-1。
マクラーレンMP4/2B/ポルシェTAGV6ターボを駆るアラン・プロスト氏が初のチャンピオン。

WEC(世界耐久選手権)では王者ポルシェに遂に果し状だよ。
トム・ウォーキンショー氏率いるTWRのジャグヮー。
V12エンジンのモンスター、ジャグヮーXJR-6が登場。
選手権を大いに盛り上げたんだ。

日本国内もGr.C時代の本格到来だよ。
トヨタ・ニッサンもマツダもCカーを製作するんだ。
だけどWEC in JAPANは相変わらず・・・・
しかし決勝レースは土砂降りのとんでも無い雨だったんだ。
レースはディレイされるは、中止検討にも入るわで主催者が大慌て。
レース短縮でスタートすることになったんだけど、欧州チームは「こんなコンディションは自殺行為だ。冗談じゃない。」と早々棄権。
しかし、ニチラ(日本ラヂエター。現在の社名はカルソニック・カンセイ)マーチ83Gニッサンの星野一義選手は交代せず一人で走り切り優勝。
TVインタビューで主催者に対し怒りを露にしていたのを覚えてるよ。

さぁ、ルマンだよ。
レースはもちろんポルシェが支配したさ。
ジャグヮーもそうだけど遂にトヨタが2台の85CLでチャレンジを始めたんだ。
ドライバーも豪華だよ。
しかも決勝初出場で12位完走を果たしたのは「中嶋悟・星野薫・関谷正徳」組だぜ。
優勝したのはまたもプライベートのヨースト・ポルシェ。
戻ってきたワークス・ポルシェを破ったんだぜ。

この年のニュースは盛りだくさんだよ。
国内F-2ではジェフ・リース選手がドライブするクレコマーチ842ではヤマハエンジンがデビューする。
そして星野一義選手のホシノ・レーシングでは特例で遂にホンダ・エンジンを搭載。
ライバル中嶋悟選手へ反撃の狼煙をあげようとしていたんだ。
でもね・・・(涙)

そして国内でもGr.Aカテゴリーによるツーリングカーレースが開始されたんだよ。
いきなり第1戦で総合優勝したのはスカイラインでもセリカでもないんだ。
AE86 カローラレビンだぜ。
第4戦ではシビックが総合優勝。
スカGもBMWもレビン・シビックに負けてしまったんだよ。

そしてWEC in JAPAN同様、欧州からGr.Aマシンが襲来する選手権があったんだ。
それがインターTECだよ。
通称「空飛ぶレンガ」ことボルボ246ターボが圧倒的強さで1-2。
続いて日本チームのBMW。
国産は三菱スタリオンの4位がやっと。
しかも大差をつけられてしまったんだよ。

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「【NISSAN】そのご意見… http://cvw.jp/b/116827/48483762/
何シテル?   06/13 19:25
「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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かつて所有していたスカイラインGTS-t TypeM。 初の新車購入でした。
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