
昭和49年。
Nジャン小学校入学の年。
幼い頃、静岡まつりに行くのが楽しみだった。
親戚は静岡浅間神社の近く。
そこには賤機山に
リフトが存在していた。
どうしても乗りたくて母に頼んだが聞く耳を持たなかった。
それがあのリフトを見た最後になった。
父と母は職場結婚。清水市(現:静岡市清水区)に勤めに行っていた。
母は妹を産むと退社したが父は通勤を続けていた。
当時、我が家にクルマが無い時代。父は免許を取得する計画をしていた。
したがって電車通勤だった。
静岡鉄道御門台駅の近くに母の同僚が住んでいた。
そこに行くのもNジャンの楽しみ。国鉄にも乗れて静鉄の電車にも乗れる。
窓を開ければ東海道本線の様様な鉄道が見れたし新幹線も見れた沿線沿いだった。
何を隠そう当時のNジャンはクルマに興味を持つ前の鉄道少年。
その全てが一転する。
昭和49年7月7日(日)。
静岡を静岡地方気象台観測史上最高記録の豪雨が襲う。
通称「
七夕豪雨」。
藤枝に住んでいたNジャンもその怖さに震えた。
風は吹き荒れ、大雨が襲う。
玄関ドアがパタパタ揺れ、その夜はとても眠れる状態じゃない。
翌朝、我が家に大きな被害は無かった。
しかし、今は亡き祖母がウチに来て言った。
「橋が流されたそうだよ。」
一部路線バスのルート変更を余儀なくされていた。
父は早めに家を出た。
学校から家に帰るとTVに映るその光景は衝撃的だった。
静岡市は安倍川が氾濫。
清水市は巴川が氾濫。
浅間神社のリフトは崩壊。
清水は濁流に飲み込まれ、街は水に遣った。静岡で唯一残っていた路面電車が廃止に追い込まれた。
静鉄電車も大きな被害を受けた。
予定していた七夕祭りも中止になった。
御門台に住んでいた母の同僚の家も水に浸かった。
父は早めに帰宅。
ことの大きさに説明がうまく出来なかった。
今も記憶に残るあの豪雨。
最近起こりうるゲリラ雨のニュースを見ると思い出してしまうことでもある。
「ちびまる子ちゃん」に登場する「まる子の町は大洪水の巻」がソレである。
今でも静岡、清水のわかる人には
爪あとが残っている。
Posted at 2008/08/08 23:53:37 | |
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