
今年のF-1。
国産チームはトヨタだけがチャレンジすることになった。
日本人ドライバーのレギュラーシートは中嶋一貴選手がウィリアムズで参戦。
初めてF-1の存在を知ったのは小学生の頃。
クルマが好きになって間もない頃だった。
当時、日本で始めてF-1が富士スピードウェイで開催されたばかりだった。
翌年、例の大事故があって日本での開催は中止された。
あの頃、ロータスやブラバム、マクラーレン、フェラーリ、ティレル(¨たいれる¨って言ったほうがイイかな:笑)など凄いチームが鎬を削っていた。
日本人ドライバーや日本のマシンがスポット参戦するもその差は明らかだった。
まぁ、あの一件はあったけれど…
燃えやすい男の闘争心に火をつけちゃったからねぇ
その後、ホンダが唯一F-1に挑戦していた過去を知った。
なのにこの時、挑戦していなかったのは謎だった。
当時の世の中の情勢を知ったのは小学校高学年の社会の授業だった。
ジョディ・シェクター氏、めちゃ速かったんだな…
この後、フェラーリに行っちゃったんだけどね。
一番好きだったのはJPSロータス。
黒に金(晩年はクリーム色)のストライプがカッコイイのなんの。
時々TV中継でF-1やっていたんだけど夢中になって見ていたよ。
ロータスってやっぱこの色が好き。ゼッケン6は、今は亡きグンナー・ニルソン氏。
日本GPはこの黒じゃなくて赤いインペリアルカラーだったけどね。
5番のマリオ・アンドレッティだけはJPSだったな。
やがてホンダがエンジンサプライヤーとしてF-1に帰ってくる。
87年には10年ぶりのF-1日本GPが鈴鹿で復活。
フジテレビが全戦中継、日本人初フルシーズンに中嶋悟氏がチャレンジ。
日本はF-1ブ-ムに沸いた。
更にホンダが快進撃、世界のホンダを知らしめた。
この時、ボクは心の底からワクワクした。
世界に日本の力が通用したのだから。
ぱこぱこさん、このログ、読んでる(笑)?
国産エンジンはヤマハ、無限も名乗りをあげてチャレンジする。
一時期はあのスバルやいすゞまでエンジンを作った(実戦はしなかった)。
日本人ドライバーが何名も誕生。
しかしホンダは一時活動を休止。
ロータス、復活しないかなぁ?
ミカ・ハッキネン氏はスポンサーのコマツの招待で重機の運転楽しんだらしいじゃんか(笑)♪
そしてホンダが復活。トヨタがそれを追うように挑戦。
佐藤琢磨選手がホンダ、トップドライバーのシートを得た。
スーパーアグリの挑戦が始まったが…
オレはその頃から何故かワクワク感が無くなった。
ホンダとトヨタが表彰台テッペンへ登る期待を持つことに疲れてしまった。
実際に立つ事があってうれしい思いもしたけれど、勝ち続ける快進撃を目にしていない。
強いホンダとトヨタが見たい。
世界最強のジャパンパワーであってほしい。
現在…
ホンダの撤退はさみしい限りだ。その理由もわかるから…
せっかく鈴鹿サーキットが立派になって帰ってくるというのに。
今、オレのF-1への思いは複雑である。
今まで見てきたワクワク感はいったい何だったのだろうか。
フェラーリやルノーなども、子供の頃見たソレとは明らかに違う気
※がする。
※性能を意味するモノではありません。違うのはアタリマエです。
Posted at 2009/03/17 20:28:05 | |
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