
子供の頃、スカイライン、もっと言えばブルーのスカイラインに憧れた。
ケンメリGT-Rレーシングのブルーメタ(現在はメタリックグリーンで何度も塗装し直したというウワサです)の姿が強烈にインパクトを与え、とにかく憧れた。
まだ、高橋国光さんの名前も知らない頃だった。知ったのは初のF-1日本GPの頃だ。
親父が日産チェリーを購入した。
ある日、「ボク、これ持っていきなよ。クルマ、好きなんだろ?」と営業さん。
これまた少年時代のボクには刺激の強い(笑)レーシングマシンのポスター。
「日産チェリー静岡」のスポンサーが表記されていた。
ドライバーさんが笑顔で写っていてプロフィールが書かれてあった。
「星野一義 静岡県出身」。
同郷、静岡人。しかも毎日のように笑顔でこっち見ているワケ(ポスターですよ)。
そりゃ、ファンになっちゃうでしょ?
まだ無名のレーサーに憧れを抱いていた。
「ブルーのスカイラインGT-Rに星野一義さんが乗ってくれたらなぁ。。。。」
小さな小学生の夢。
ボクが青春時代を迎えた頃。
日産は、ワークス活動再開。
その頃にはエースドライバーの一人に挙げられていた星野一義氏。
ルマンに日産と星野が挑戦する。
ときめきを隠せなかった。
Gr.A時代が到来。
星野一義氏はスカイラインGTS-Rで挑戦開始。
カルソニック・スカイラインが登場。
やがて、スカイラインGT-Rが復活。
少年時代に夢見てたブルーのスカイラインGT-Rに星野が乗った。
「世の中、こんな事があっていいのか!!」
居ても立っても居られず、ボクは初めての生観戦、富士スピードウェイに行った。
目の前で優勝。ブルーのスカイラインGT-R、星野一義、富士スピードウェイ。
言葉に出来ぬ思いが交錯した。
ルマン最後の挑戦、表彰台。
引退の時。
涙溢れる自分がいた。
この話を先日、日産応援団「Hじーじ」にさせてもらった。
じーじは言ってくれた。
「監督はあなたの事、
覚えてくれてるの?」
「さぁ…もう忘れている(ただの一ファンですので)と思いますよ。」と答えた。
自分を売り込む気はない。思い出で十分。
星野一義さんが衝撃を受けたモトクロス大会。
そのモトクロス大会の行われた藤枝でボクが生まれたんだ。
本当は青組だと自分を思う。
だけど、ボクは日産全体の応援団でもあるんだ。
今、レストアしている愛車BNR32。
本当はカルソニックブルーにしたかったんだけど、実は塗装屋の社長さんに止められた(苦笑)。
Posted at 2009/05/28 21:03:36 | |
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日産応援団 Nジャン | 日記