
オレにとっての日産応援団は、昨年で参加10年目の節目を迎えた。
今年、新たなる幕開けとなるかもしれない。
だが、振り返るとハッキリ覚えている記憶がある。
目の当たりにしてきたいくつかのシーン。
オレには、忘れられない一戦がある。
いや、同じ気持ちの人がいるかもしれない。
アレを知った大事な瞬間。
それはオレにとって未だかつて経験したことのない事だった。
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【日産応援団 Nジャン】あの時 2003.11/16
※恐れ入りますが、ドライバー・関係者名は演出上敬称略とさせてください。
2003年。
日産はJGTC(現 SuperGT)に03モデルのスカイラインGT-Rを導入した。
前年の2002年、スカイラインGT-Rは一勝もできなかったという屈辱を味わった。
03年はレギュレーションの変更もあった。
パイプフレームを使用する新たな設計が可能になった。
フルシーズン、VQ30DETTを搭載。
時は3月。
第一回 日産応援団決起集会が行われた。
NISMOさんの計らいでこの03年モデルGT500のスカイラインGT-RとGT300のフェアレディZの説明があったが、まずそのスタイルに圧倒された。
「これなら勝てるかもしれない!!」
日産応援団に新たなるキャラクターが登場。
浜松のY君。
有り余るパワーに圧倒された。
シーズンが始まると前年までの成績がウソだったかのように快進撃を続けたスカイラインGT-R。
そしてコンスタントに戦い抜き、気付けば上位に食い込むGT300のフェアレディZ。
しかし、シーズン途中、NISMOからR34スカイラインGT-Rによる参戦を03年で終了というインフォメーションがあった。
更にHONDAでも、あの土屋圭市がラストラン。
最終戦に向かったオレ達。
求めるものは¨有終の美¨。
オレは、女房と娘(当時は3歳 一人娘でした)を愛車BNR32に乗せて鈴鹿に遠征。
まだ2回目の鈴鹿だったし、今みたいに伊勢湾岸線も全開通していなかった。
道に自信が無く、途中、黒澤団長に頼んで2台で鈴鹿を目指した。
当時、団長のエルグランドはシンプルなシルバーだった(爆)。
※画像提供:
3匹の仔豚パパさん
Posted at 2010/01/21 23:43:06 | |
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日産応援団 Nジャン | 日記