
知人のお嬢さんが吹奏楽部に入ったという話を聞き、少し説明を求められたので私は答えました。
説明していると段々思い出してくるモノがあります。
=========================
それはタイトルの通り、中学時代のオハナシ。
Nジャン、吹奏楽部入部。当時13歳。パートはコントラバス&パーカッション。
この時の吹奏楽部は第二世代ということらしい。
2コ上の先輩達が、何年も前に廃部になった吹奏楽部をどうしても復活させたいという情熱で起こした第二世代。
顧問の先生も吹奏楽部発足を前提にしていなかったので、専門外の先生が顧問になった。
Nジャンと同世代の藤枝人で知っている方(特に西中とか高中とかw)はいらっしゃるかもしれないが、「ケツコン」と呼ばれる女性のセンセ。
そのため、楽器屋サンにお願いし学校に通ってもらう事に。
しかし楽器屋サンとて専門の指導者というワケではなく、殆どが自主練習だった。
全国レベルの合唱(コーラス)部。
この合唱部がブイブイ言わせ(笑)、吹奏楽部は肩身の狭~い存在。
第一音楽室を占領する合唱部。理由はグランドピアノがあるから。
隣の第二音楽室は吹奏楽部。音楽室の補欠みたいなモンだ。
しかし、「音の影響が出る」との理由で第二音楽室退室を依頼された吹奏楽部。
新しい部室は「視聴覚室」。
吹奏楽部…力の差に成す術なし。
くちょー、カマキリめ(合唱部顧問の先生)。
西中のOBである女子高生の方が、西中に現れた。
サッカーでこれまた全国に名を知らしめる藤枝東高校に進学された方で音楽(吹奏楽)部の方らしい。
定期演奏会のご案内をした。
いざ、定期演奏会。
この方は、東高音楽部伝統、第○○代目「ウルトラの母」と呼ばれているらしい。
必ず「ウルトラの母」のようなメガネ&ヘアスタイルが毎年いるそうで…
中1の時初めてのコンクールで殆どサプライズの指揮者が登場。
「あの先生、誰?」状態。未だに正体がわからないまま30年経とうとしている。
それでも「優良賞」という賞を貰った吹奏楽部。
しかし合唱部は「最優秀賞」を手にし、全国へ行って日本一となった。
3年生は引退。
達成感いっぱいで去って行った。
3年生が去って行った後、吹奏楽部は、男子と女子の仲が急に難しくなって行った!
校舎では、北校舎4階から憎くも美しい(笑)コーラスが響く。
南校舎4階から発する音は不協和音だった。
♪ジャーン らっははっはら~♪ VS
♪ プー ジャーン♪
=つづく=
Posted at 2010/06/04 21:08:15 | |
トラックバック(0) |
音楽プレイヤー | 日記