![その時、ボクは… ~GT-Rとロータリーと~ [前編] その時、ボクは… ~GT-Rとロータリーと~ [前編]](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/018/428/620/18428620/p1m.jpg?ct=409cae4fe40c)
※前にも書かせて頂いた内容と一部重なりますがご了承ください。
☆ドライバー名並びに関係者名は演出のため一部敬称略とさせていただきます。
1974年、秋。
Nジャン、小学校1年生。7歳(当時)。
我が家に初めてマイカーがやってきた。
そのクルマは、父親は勤務先の知人から譲り受けたクルマだった。
マツダ・カペラ・ロータリークーペ。
http://www.geocities.co.jp/MotorCity-Race/1961/re-04.jpg
親父は何も知らずに購入。
このクルマがどういうクルマなのかも知らずに…
男の子がメカに興味を持つ。
よくある話だ。
これを機会に自分もクルマに興味を持ち始めた。
1975年、夏。
Nジャン、小学校2年生。8歳(当時)。
従兄弟が遊びに来て「プラモデル」を作ろうということになった。
良く見かけるというだけの理由で「日産・スカイライン(ケンメリ)2000GT-X 《日本模型(ニチモ)製》」を作った。
初めて作ったプラモデル。
もちろん、ロクな出来ではなかったが、机の上のスカイラインはいつしか宝物になった。
その後、プラモデル作りが面白くなって行った。
駄菓子屋を営む祖母が問屋さんからNジャンのためにプラモデルを貰った。
偶然だったが、これも「日産・スカイライン(ケンメリ)」。
ただ、何やらちょっと違う。
それは「日産・スカイライン(ケンメリ)2000GT-R 《ナガノ模型製》」。
季節は秋になった。
「GT-R?何?それ?」
当時の雑誌にもカタログにも書かれていない謎のクルマ。
好奇心旺盛のNジャン少年。
あの頃のボクはGT-Rという謎のクルマを知りたくなっていた。
親父はスカイラインを特集していた雑誌を買ってきた。
そこで、GT-Rというクルマの謎が全部解けた。
生産中止を知った時にはショックを隠しきれなかった。
GT-R(ハコスカ)の連勝を阻止された事も知った。
我が家の愛車は日産チェリーF-Ⅱになった。
販売店からチェリー店のスポンサーが書かれているレースカーのポスターを貰った。
ドライバーのプロフィールに「星野一義 静岡市出身」と書かれてあった(当時、新人)。
それからというもの、GT-Rと星野一義に夢中。
スカGの有名な50勝伝説。
悲運のケンメリGT-R。
青いケンメリGT-Rと高橋国光とのショット画像。
※画像提供:フォトヤマさん
「このGT-Rがレースで勝ち進んでいたら。」
「GT-Rは無くなってしまうのか。GT-Rをまた売ってほしい。」
「星野一義に青いレーシングGT-Rを乗って欲しい」
様々な思いが過ぎっていた。
そう。
それから十数年後に実現するとは思いもしなかった。
=つづく=
Posted at 2010/06/08 23:06:49 | |
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