![その時、ボクは… ~GT-Rとロータリーと~ [後編] その時、ボクは… ~GT-Rとロータリーと~ [後編]](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/018/429/724/18429724/p1m.jpg?ct=09c843d3c0e5)
現実を知る時にはシビアな面もある。
ツーリングカーレース王者、日産・スカイラインGT-R。
高橋国光、長谷見昌弘、黒沢元治、北野元などを筆頭に日産のスーパースター達がGT-Rを駆っていた。
挑戦者、マツダ・ファミリア・ロータリークーペ、マツダ・カペラ・ロータリークーペ。
片山義美、縦野孝司、寺田陽次郎、岡本安弘らが果敢にGT-Rに対抗していた。
富士スピードウェイの30度バンクを駆け抜けるGT-Rとロータリーに心を奪われる。
メカニズムが優れたGT-R。特にコーナーでは右に出る物はいなかった。
軽量コンパクト、高回転のロータリーエンジンを搭載するマツダロータリー軍団。
ストレートスピードではマツダにアドバンテージがあった。
そしてGT-Rの連勝を阻止したのは寺田陽次郎が駆るカペラ・ロータリー・クーペ。
かつて我が家にあったカペラ・ロータリークーペに何を思えばいいのだろうか。
我が家のカペラには思い出がいっぱい詰まっていた。
マツダは打倒GT-Rに手を休めない。
ニューマシン、サバンナGT(RX-3)を導入。
サバンナは段々とGT-Rを圧倒。
そして最後には…
1990年春。
Nジャン 23歳(当時)。
サーキットにスカイラインGT-Rが帰ってくる。
あの長谷見昌弘がハコスカ以来のGT-Rドライブ。
そして…星野一義が青いスカイラインGT-Rのステアリングを握った。
「こんな事があっていいのか…」
少年時代の夢のひとつが具体化した。
更に、1992年春。
Nジャン 26歳(当時)。
今度は高橋国光とGT-Rのコンビネーションが復活。
いてもたってもいられなかった。
N1耐久ではGT-RにRX-7が挑んでいた。
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星野一義さんはNジャンに、Nジャンの地元、静岡県藤枝市について語ってくれた。
ラーメン屋の話です(笑)。
寺田陽次郎さんに偶然お会いできた。
恐る恐る声をかけると優しい笑顔でマネージャーさんにシャッターを押すように指示をしてくれた。
高橋国光さんはとてもじゃないけれど恐れ多くて近寄れない(笑)。
長谷見昌弘さんは、まだ幼かったウチの娘の手を握ってくれた。
黒澤元治さんは静岡のイベントで見かけたので写真をお願いすると快く対応してくれた。
黒澤さんだということを周りは誰も気付かなかった。
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GT-Rとロータリー。
何故かモータースポーツの世界だけではなく自分にも関係している。
以前、黒澤日産応援団長に原稿をお願いした時、彼もかつてマツダ車に関係していた事を知った。
あまりにも愉快だった。
たった一度だけ若い頃に、度が過ぎる程調子に乗った人間(知人)対してに怒りをぶつけた事がある。
「(GTーR乗っていながら何も知らない)オマエに何がわかるんだ!」
しかし、今じゃ後悔してるし恥ずかしくて言えない。
人の事言えないだろ?ってネ。
でもさ…
¨わがクルマ○カ人生に後悔なし¨
だネ。
Posted at 2010/06/09 00:08:06 | |
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