※演出の為、敬称略にて失礼致します。
時は1999年。
ルマン イン 富士 1000km レース。
歴代、ルマン日産応援団参加者が集った。
団長が用意した日産応援旗。
旗手が足りず、観客に呼びかけた。
「是非、応援期を振ってください。」
ある一家が申し出た。
田上一家。
大学生だった長男、裕規は感激した。
「うわぁ…TVに映っていた(ルマン24中継)人達だ!」
レースはニッサンR391が優勝した。
その興奮がなかなか冷め止まない。
2000年。
JGTC(当時)が開幕。
居ても経ってもいられず団長に連絡。
「旗を貸してくれませんか?」
開幕戦、もてぎ。
一家で応援旗を広げた。
その応援にチームもドライバーも答えてくれた。
見事#1 LOCTITE ZEXEL NISMO GT-Rが勝利した。
日産応援団がJGTC(現:SuperGT)に本格的に登場することになった。
最終戦、鈴鹿。
初めて感じ取った「負」。
ただただ悔しかった。
2003年。
チャンピオンに輝くと今まで無かった感動を味わった。
2011 SuperGT Championship Rd.3 SUPER GT INTERNATIONAL SERIES MALAYSIA。
F-1にはモナコ・マイスターと呼ばれるドライバーがいる。
¨SuperGTにはセパン・マイスター
というチームがあるのかもしれない¨
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2011 SuperGT Rd.3 SEPANG の日産応援団 インフォメーション
https://minkara.carview.co.jp/group/gogonissan/bbs/6368018/l10/

Posted at 2011/06/14 20:17:13 | |
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